小説 (仮)被災者になるということ~能登半島地震より 第60話

2月29日 木曜日

今日はパンの配布があったが、買ってきて食べた分、余っていたのでもらいにいかなかった。
お魚ソーセージ、パン、紅茶にした。

息子は体調がよくなってきたようで、学校に行った。薬をちゃんと持っていくように声をかけた。
家に寄って燃えるごみをだして、ちょっと考えて、義母の食べられそうなものを持ってから、義父母の家に向かった。
父はすでにきて、外の片付けをしていた。

片付けている途中で近所のKさんに会った。N市に行くことに決めたということだった。輪島塗関係の仕事をしていたKさんは、まだ仕事の再開の見通しが立たないようだった。
Tさんは仮設住宅の抽選に当たって、家のものを持っていくところだと言った。
いいかどうかはともかく、状況は動いている。

台所のカビの拭き掃除をしていたら義母から電話があった。予定よりも早く、10時半につきそうだといった。今はもうすぐ10時だった。
父に伝えて、ペースを上げて片付けする。父は切りのいいところで帰っていった。
掃除機を家中にかけて、廊下の砂ぼこりの汚れをウエットティッシュでふく。
まあまあできたところで、キャリーケースを持った義母が帰ってきた。
キャリーケースの中をあけて、お土産に息子のすきなお菓子やきんつばをくれた。灯油がなく、ストーブがつけられないので、二人でホットカーペットの上に座った。
義母は灯油の配達ができるか電話をし、配達できるというのでほっとしていた。
知り合いの人から服や下着をもらったからいらないか、と言われたが、
捨てなくてはいけないほどだからいらない、と断った。
さっき聞いた、近所の人の話をした。
電化製品が壊れていないか電源を入れてまわった。無事なようだったので、義母は喜んだ。
「よくこれだけ片付けできたわねぇ。」
「実家の父にも手伝ってもらったので。」
「それはきのどくな(※1)。お父さんにもよろしくいっておいてね。」
当面の食べものとして、パンとインスタントスープの元とレトルトカレーをわたした。
「炊飯器は棚から落ちたし、駄目になっているんじゃないかしらねぇ。」
「私の家のは、落ちたけれど使えましたよ。」
「それならやってみようかしら。壊れてないか心配だわ。」
持ってきた無料バスの時刻表をわたし、開いているお店の一覧をホームページでみて、手書きで書きうつしてわたす。
以前と同じ生活はできないとわかってもらうためだ。
無料バスは病院とその近くのスーパーに行くためのルートしかない。
タクシー会社は廃業したと聞いていたので、そう伝えた。
義母のお友だちの話になった。
ある人は二次避難しているが、家のダメージが思ったよりひどく、
修理できるかどうかわからないし、もうどうでもいいと元気がなくなっているという。
W市ではない場所の高齢者福祉施設に入居を決めた人も多いそうだ。
地震で生活が一変してしまうのに年齢は関係ないが、高齢者の精神がダメージを受けた場合、立ち直るのが難しそうだ。
義父はしばらく病院にいることになる。この前会いに行ったときは、ズボンをはかずに布団に入って、寒い寒いと言っていたそうだ。義母は病院側が何もしてくれないと愚痴をこぼした。
高齢者施設ではないのだから、そこまでしてくれないのではないかと思ったが、黙っていた。聞いた話だけでは、判断できない。
こっちの病院で診察してもらえるか、聞いてみないといけないと義母は力強く言った。診察してもらえれば良くなると思っているようだった。

避難所の昼ご飯の時間になったので、帰ることにした。
帰り際に、片付けしてくれて本当にありがとう、生きて輪島に戻れないんじゃないかと思ったから、と言って涙をにじませた。
そんなことは、と言って、その後の言葉に詰まった。午後にも来ますといって車に乗った。
一ヶ月半ほどで気弱になり、ずいぶん年をとったように見えた。

昼はN県の宗教団体だった。焼そばとフランクフルトだった。
フランクフルトはウインナーとは少し違うが、似たようなものだし、コロナになった後からずっと食べたいと思っていたので、嬉しかった。
さっと食べられて、美味しかった。

食べた後、あまりのんびりせずに義父母の家に行った。今日中に終わらせてしまいたい。
義母に寒くないかと何度も聞かれたが、今日は暖かいほうだった。
金沢からきたから寒いんでしょう、私は大丈夫ですからと言って作業をした。
やることは分別だけだ。

ガス販売店の社長がたまたま回って来て、プロパンガスをみてくれた。
義母と社長が知り合いなのだ。ガスは使えるということだった。
私たち家族がどうしているか聞かれ、3人で避難所にいるというと、それは大変だろうと言われた。
「家は住めんがけ?」
「一応住めます。」
「避難所の方が安心なが?」
「それもあるけど、下水管が壊れてて。」
「あぁ、そうけー。」
義母に、向こうの通り見とらんやろう、あっちはひどいぞと話していた。
ちょうどそのとき、灯油の配達の車が来た。
配達の人は、家は大丈夫やけど店がだめで、給油もいつものところがだめで、別のところからわけてもらっていると言っていた。
義母は『水が出るようになったから、帰ってきたら』と言われて帰ってきたの、と言った。
帰ってきたらなんて言ってない、富山に行きたくないっていったのはそっちだろと心の中で叫び、黙っていた。義母はたまに良いように話をつくることがある。
不満げな表情が配達の人には伝わったかもしれなかった。
私の家のオイルタンクも見てくれていたようで、ちゃんと立ってましたねと言った。私の家のタンクも同じ店で配達してもらっている。
タンクの灯油は使わないなら抜くこともできると言われたが、夫に相談しないとわからないと答えた。

プラスチックケースが大きくて袋に上手く入らないので、それだけをまとめてしばった。燃えるごみ、プラごみ、時々金属ごみ。袋を何個もしばり、布テープに災の字を書いて貼っていく。
3時過ぎにまとめ終わった。
お茶を飲んでいったらと誘われたが、帰りますと言ってさっと帰ってきた。
疲れている義母を労わったほうがいいのだろうが、私の感情からそれはできそうになかった。

トイレに行きたかったので買い物はできず、すぐに避難所に戻る。
ランチルームのおじさんと会うと、3日分の朝ご飯きたよ、と教えてくれた。
息子はまだ帰ってきていないようだった。
3日分の朝ご飯は長期保存パン、インスタントスープ、豆乳や野菜ジュースがそれぞれ段ボールに入れられて、置かれていた。
これ以降ずっと、朝ご飯は3つの組み合わせで、2日分または3日分を自分で持っていくことになった。
インスタントスープは、個包装されているフリーズドライのもので
中華スープ、野菜スープ、ほうれん草の味噌汁など、日によって変わった。
息子はこれらが気に入って毎朝スープを食べるようになった。

家に帰って、ちょっと片付けをしているとすぐに6時になった。
夫がドラッグストアに行くというので一緒にいくと、ひどく混んでいた。
工事作業の人も多かった。他の店がほとんど開いていないせいだろう。
お弁当もお惣菜も売り切れていた。

途中で検問をしていた。窃盗団がいないか見ているのだと思う。
買い物の帰りで、避難所に行きます、と話す。
検問だけではなく、昼もパトロールしている警察官は多い。いろいろなナンバーのパトカーが走っているので支援だとわかる。

夜はご飯と中華スープだった。
中華スープを先に食べて、以前にもらった梅干しでご飯を食べた。甘酸っぱい梅干しが美味しかった。
携帯とタブレットを充電しておいた。

父に今日までのお礼を言いに行った。手伝ってもらったおかげで、ぎりぎり義母が帰ってくるまでに間に合った。本当に助かった。義母もお礼を言っていたと伝えた。
父も満足そうだった。
母とも電話をし、義母の様子を伝える。
あの気の強いお母さんがねぇ、と意外そうに言う。
「まあ、地震でいっぺんに年を取ったのはみんな一緒やわ。」

今日は寝付けなかった。
足がかゆいせいかもしれなかった。ウエットティッシュで拭いた。
口内炎ができているのに気づいた。
地震じゃなくても口内炎はできる体質なので、できても仕方がない。
ただ、こうして2ヵ月も栄養が偏った状態が続いているのが心配だった。
息子のいびきが聞こえた。
鼻の状態が悪いせいで、いびきがいつもより大きくなっている。
急性難聴をしっかり治すことはできるのだろうか。
明日から3月なのに、不安なことがたくさんあった。


※1・・・「きのどくな」とは石川の方言。(わりと有名?)
何か人からしてもらったときに使う。
謝罪だけではなく、少し感謝の意味も含まれている。「きのどくやー」ということもある。固い言葉でいうと「そんなにしてもらって恐縮です」という感じ。
してもらう前にも使う。
例:「きのどくやし、せんでいいわいね。」(悪いから、しなくていいよ。)
若い世代は使わない。多分40代でも使わないと思われる。

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