小説 (仮)被災者になるということ~能登半島地震より 第81話
3月21日 木曜日
朝はパンとにんじんジュースにした。
家に帰り、ゴミ出しをしたときに、隣の家の人と出会った。
近所のおじいさんが亡くなったことを知った。
W市ではごく近所の人が亡くなると、香典を持っていく風習がある。
香典を準備しなくてはいけない。夫に連絡をし、金額を決めた。
香典袋の予備があったので、お金を入れ、名前を書いた。
仕事をしてたら、チャイムがなった。
自宅避難者の調査をしている地方自治体の職員がきた。
私たちは避難所にいるし、自宅で避難しているわけではないのだが
全棟調査をしているので、アンケートに答えてほしいといった。
バラバラの県のゼッケンをつけた3人が支援にきていた。
避難所の名簿を見れば、我が家には来なくていいはずで、
支援の職員を使ってまで全棟調査をする意味があるだろうか。
避難所や二次避難先に登録がない家を回ればいいのに。
土地勘のない支援職員をまわらせるのもわからない。
住所までタブレットに入力していた。
家族3人分、アンケートに答えた。
母から電話があった。
茶碗を家から出したので、見に来たらということだった。
古いものや使っていないものもあるという。コーヒーカップのセットを夜に避難所に持っていくから、見てみてと言った。
家にも置く場所はないと思うので、喫茶店の友達に聞いてみることにした。
昼は私が香典を持っていくことにし、弁当を夫に買ってきてもらうことにした。
喪服に着替えて持って行った。喪服以外に黒っぽい服がないのだ。
留守だったので、香典を渡せなかった。
普通の服に着替え、テレビを見ながら夫と一緒に弁当を食べた。
夫はあわただしく仕事に戻った。
午後は置き薬(※1)の担当者がきた。
今日は仕事が中断される日のようだ。
今回は薬のチェックはなく、お見舞いに来たということだった。
ドリンクを置いていった。対応も丁寧だった。
いつもほとんど置き薬を使っていない。今度から少し薬をつかってあげようという気持ちになった。
仕事が終わってから、また喪服に着替えて香典を持って行った。
今度は会うことができた。遅くなって、すみませんと謝った。
おじいちゃんは施設に入っていたが、病状が悪くなり入院して亡くなったそうだ。
こんな時ですから大変でしょう、と言うと、何もできなくてね、ということだった。
私たちはまだ避難所にいるが、もうすぐ帰ってくるつもりなのでよろしくお願いしますとあいさつした。
近所の人が減ったでしょ、さみしいから早く帰ってきてね、と言われた。
実際、近所で家に残っているのは半分以下だった。
夜は本部に寄ってご飯と中華ピリ辛あんかけといよかんとバナナをもらった。いよかんがすごく甘くて美味しかった。やっぱりいよかんは良い。
ランチルームにコーヒーカップを見に行った。
イチゴの柄が描かれており、ビニールも新しく、捨てるにはもったいない気がした。喫茶店の友達に写真を送ってみたが、いらないと言われた。
どうすればいいか、悩むところだ。とりあえず、取っておいてもらった。
母は、壊れた家が傾きがありすぎて、足が疲れるし、長くいるとめまいがすると言った。
わずかな傾きでも気分が悪くなる、とこの前保険の査定人から聞いたので
気を付けたほうがいいと伝えた。
能登で支援物資を売りにだしたというネットニュースがあった。
まとめてフリマアプリに出品していたということだった。
それは一般の人が複数持っていることはないもので、そこから支援物資だということがわかったらしい。
出品は取り消されたということだが、残念だった。
お金が欲しい気持ちはわからなくもないが、支援してくれた人の善意を踏みにじる行為だし、こういうことがあれば、支援をしてもらえなくなるかもしれない。
そして取り消した人も心配だった。この世の中、狙われると恐ろしいことになりそうな気がする。
全く起きずに眠れた。
温かくなり、ストーブもついていなかったので、延長で起こされなかった。
もうすぐ家に帰る頃になったのに眠れるようになり、複雑な気持ちだ。
※1 置き薬は富山県が有名ですね。能登の家でも置いている人は多いです。北陸以外で使っている人が多いかわからないので、注釈をつけました。
システムとしては、専用の箱の中に薬を入れてあり、時々中身を点検しにきてくれて、使った分だけのお金を払います。
実家は箱ごと家の下敷きになっているし、訪問しようにも道も悪いので、置き薬会社も大変だろうと思います。