小説 (仮)被災者になるということ~能登半島地震より 第23話
1月23日
朝は紙コップにおかゆが入っていた。
2つの小袋がついていて、うめのふりかけと塩だった。
見たことがない小袋だった。
あたたかいおかゆがありがたかった。
息子はおかゆを食べないというので、義父母の家から持ってきたみかんを渡した。
お菓子セットの中にあったミニフィナンシェも渡した。
地震前は食べなかったのだが、食べられるようになったのだという。
好き嫌いの多い息子が、支援物資をきっかけに食べられるものが増えたことがうれしかった。
息子は今日は登校した。
授業は午前中だけだという。
どれだけ、他の地域と比べて勉強が遅れているのだろうか。
私はやっとシャワーに入ろうと思ったのだが、シャワー中止になったと放送があった。
髪の毛はべったりとしている。
父に軽トラに乗せてもらって、家まで物を取りに行った。
フリースの長いガウン、フリースのズボン、腰に巻くキルティングのスカートを持ってきた。
これで寒さをしのげるといいのだけれど。
道路の亀裂や段差、穴の開いた箇所に砕石が詰められ始めた。
砂利と砂が混ざったようなものだ。
トラックと小さなショベルカーがきて作業しているので、あちこちで片側交互通行になっている。
これで通れる道路が増えるだろう。
義父母の家に行き、汚物のたまった便器を掃除する。
そのための道具はもってきた。使い捨てポリ手袋と紙コップだ。
窓を開けて臭いを逃がす。
使い捨てのポリ手袋を使い、紙コップで便器の汚物を掬い、
簡易トイレの袋にいれる。
臭いをなるべくかがないようにして作業する。
紙コップでも最後まで掬いきれず、少し残ってしまう。
袋に凝固剤を入れて、しばるために手袋を外す。
こぼさないようにしばり、さらにもう一つ袋に入れてしばってから
ごみ袋に入れる。
便器に水を入れたが、もう少しといったところだ。
使い捨て手袋をもう少し持ってきておけばよかった。
窓を開けていても、臭いはなかなか取れない。
この惨状について、何も言っていかなかったし、
私もわざわざ掃除しましたという気にもなれなかった。
帰ってきてきれいになっていても、この苦労をわかってはもらえないだろう。
掃除しても感謝されないと思うと割り切れない気持ちになった。
介護している人にとっては、当たり前のことだろうか。
昼はご飯とモツ煮だった。
息子がまだ帰ってこないので、取っておいた。
モツ煮はなぜか普段の炊き出しより量が多かった。
私はほとんど好き嫌いがないのだが、モツやレバーなど内臓は食べられない。
牛すじみたいなやつが食べやすかったので
それだけを選んで食べた。
物足りない分、ひとくちチョコを食べる。
残ったものを捨てるため、残食入れ(バケツの上にプラスチックのざるが置いてある)に行くと、どこかのおじさんも捨てに来ていた。
おじさんの母親が残したものだが、だんだん食が細くなってきたと嘆いていた。
食が細くなる気持ちはわかる。
食べ慣れないものが多く、気分も落ち込み気味だから、食べたくなくなってくるのだろう。
息子は帰ってきて、モツ煮をちゃんと食べた。
息子もレバーは食べられないのだが、モツは大丈夫だと言っていた。
タンパク質がとれてよかった。
父が雑誌が読みたいというので、DVDレンタルやゲーム、本などを売っているチェーン店に一緒に行ってみたが閉まったままだった。
(注:この店は閉まったまま、閉店することになった。)
私は地震前、ラジオで英会話の勉強をしていて、そのテキストが欲しかったのだがあきらめた。
この時、W市では本屋は一軒も開いていなかった。(注:5月になっても開いていない。)
同じ敷地内にあるホームセンターでごみ袋を買った。
そのまま帰るのもさみしいので、ついでにドラッグストアに寄ってもらった。
野菜ジュースやヨーグルトをかごに入れる。
私にとっては地震後、初の買物だ。
父はチーズやオレンジ味の炭酸飲料をかごに入れた。
そこで知り合いの夫婦にあった。
どちらも疲れた顔に見えた。(地震後はみんな疲れた顔をしている。)
旦那さんは市役所の職員だ。
「市の職員は休みがなくて大変らしいですね。」と聞いてみた。
「いやー、今日が22日ぶりの休みですよ。これから支援の人が来るから
もう少し休めるようになると思うんですけどね。」
別れ際に「お気をつけて。」とあいさつをした。
私の正直な気持ちだ。
「お気をつけて。」
午後は片づけをせず、避難所で休んでいた。
ネットオークションで宝石を見ていた。ローズカットのルースを探していた。
これは地震前からずっと気になっていたものだ。
漫画にガーネットのローズカットの指輪が描いてあって、それが素敵だったからだ。
ローズカットはアンティークに多いカットで、
現代のカットとは違う独特な輝き方をするという。
オークションの仕組みはわからないし、K宅急便で送ってくれるかどうかもわからないので買えるわけではないのだが、ただ見ていた。
ローズカットではなくても、ルースを見るのは面白かった。
心が地震とは真逆のものを求めているのかもしれなかった。
今日もタブレットを見る時間が長くなってしまった。
地震前はカラオケアプリで歌の練習をしていたし、英会話の勉強もしていたし、時にはピアノの練習もしたし、ご飯と弁当のメニューも考えなくてはいけなかったのだが、どれもできなくなったし、やる気も起きなかった。
本当にやりたければ、工夫をすることで、できなくはないはずだ。
しかし、その工夫をする気になれない。
晩御飯は白米と豚汁だった。
晩御飯の配布はだいたい5時半だった。
息子は起こしても寝ていた。
久しぶりの学校で疲れたのだろう。
7時くらいに起きて、冷めたごはんを食べていた。
もともと息子は冷めたごはんが平気なので大丈夫なのだが、
本当は温かいものを食べさせてあげたい。
でもレンジもないし、温めることができない。
ご飯のあと、ランチルームの父のところに行くと、午後はカウンセラーの人が回って、話を聞いていったらしい。
体育館には来なかったが、カーテンを閉めていたからだろうか。
災害関連死を防ぐ取り組みなのだろう。
いつものように歯磨きとトイレを済ませて寝る準備をする。
腰にキルティングのスカートを巻いて、ガウンを毛布のように上にかけて、さらに毛布をかけて寝たが、夜中に足先が寒くて目が覚めた。
まだ足りないようだ。