小説 (仮)被災者になるということ~能登半島地震より 第35話

2月4日 日曜日

朝はおかゆと塩の小袋だった。
塩ではさみしいと思い、ふりかけをかける。
野菜ジュースを飲んだ。
関西のO市とS市の職員が本部にいるようになっていた。
トイレ掃除や廊下の消毒をしているのを見かけた。
玄関の支援物資の種類が多くなってきたようだ。

放送があった。
医療チームの巡回は今日までなので、気になる症状があったら見てもらってくださいということだった。

家に行って洗濯用のお湯がわくまで、会社のパソコンの置き場所を決める。
今日は設置するだけだ。在宅でできる仕事にしてもらえた。
ミシン用に使っていた机を使うことにし、パソコンとモニターを電源につなげる。
メールアプリを起動すると、取引先からのお見舞いメールが会社宛てにたくさん来ていたので読んだ。

お湯が沸いたので、洗濯物をつけ置きしておく。
片付けをしながらすすぎ、脱水をし、洗濯物を干す。

昼は弁当と根菜スープだった。
おかずの鶏のしょうゆ煮の上にはきざみのりがちらしてあり、ほうれん草、ゆで卵半分、紅ショウガがついている。
ご飯の上には、のりたまのふりかけがかかっている。
まだほんのり温かい。
ほうれん草は久しぶりだと思った。
ほうれん草もゆで卵も水を使うから、なかなか食べられない。
メニューのバランスもよく、細やかな気配りが感じられて、本当に嬉しかった。

ご飯のあとは新聞を読んだ。
夫は昼寝をしていた。
夫の目が覚め出発するころに、父に電話し、義父母の家にこれから向かうので手伝ってくれるように頼んだ。

義父母の家は二階の窓が地震で開いたままになっているのだが、廊下に置かれていたスチールラックなどが倒れているため、そこまでたどり着けない。
義父の趣味は園芸だ。
園芸用の温室が置かれた部屋があるが、植物が部屋に入りきらず、廊下にまでいくつものメタルラックと鉢があふれていた。
温室のヒーターがつながったままになっている可能性があると夫が言う。
今は停電中のため問題はないが、通電する前に外さなくてはいけない。
第一の目標が窓を閉めること、第二の目標がヒーターをコンセントから外すことになった。

鉢植え、園芸用のワイヤー、袋に入った鹿沼土や赤玉土など園芸用の土、油粕、化成肥料、液肥、殺虫殺菌剤のボトルなどが、床の上に転がっているため、玄関まで降ろして仕分けしていく。
夫と父はものを降ろし、私は仕分けをしていった。
使いかけの土は片っ端から庭に出した。
アイスの棒らしい木の棒も何本も出てくる。
黒い育苗ポット、鉢の水受け皿代わりに使われていたお惣菜のトレイなどもあった。
災害ごみは混ざっていると回収してもらえないので、慎重に分別していった。
鉢植えにさしてあった、名前を書くプラのラベルが小さくて、軍手をしていると面倒だった。
もみ殻の入った段ボールもあった。
もみ殻は野菜を育てるためにとっておいたのだろう。しかし今となっては
ただのごみだ。
ひからびた球根も出てきた。
石灰や残り少なかった化成肥料は庭の土に混ぜた。
しばらくしてやっと一つ目のメタルラックを降ろすことができた。

もともと認知症の症状が出始めていたのだろう。
同じ土が別のところから何度も出てくるのだった。どれも袋が開いていて、少しだけ使ってある。
液肥や殺虫殺菌剤のボトルも使っていないのに同じものが何本もある。
園芸用の土や液肥は1000円以下で買えるが、それが大量にあるので
総額でどれくらいになるか、恐ろしくて計算したくもなかった。

玄関がいっぱいになってきたので、三人で仕分けをした。
棚をばらして、ひもで縛った。
細かなものは袋に入れていった。
「災」の紙を張ったり、直接書いたりして、家の前に出した。

暗く、寒くなってきたので、4時半に終わることにした。
停電では作業にも影響する。

帰りに夫と買い物しようとしたが、コンビニが閉まっていたので、ドラッグストアに行った。
ヨーグルト、野菜ジュース、パン、おにぎり、乳酸菌飲料を買った。

夜は肉じゃがみたいな味の牛肉白菜スープだが、白菜と牛肉のかけらとエノキだけで、ジャガイモはなかった。
ランチルームに父に会いに行き、今日のお礼とヨーグルトを渡した。
父はご飯を食べた後にカップ麺を食べていた。
私でも少し足りないくらいだから、もともとたくさん食べる人は全然足りないのだろう。

生理用ナプキンを家から持ってくるのを忘れたので、支援物資置き場に行った。
支援物資の箱に、ボランティアの人が書いたと思われる言葉があった。
「あとはここから上がるだけ もう少しの間がんばって!」
この「がんばって」はみんなががんばっているのを知っているよといっているように見えた。

ネットで避難所の雑魚寝についてのニュースを見つけた。
避難所・避難生活学会という団体の人のものだった。
その団体は、清潔なトイレ、温かい食事を作るキッチン、簡易ベッドを
48時間以内に設置することを提言していると書いてある。
能登半島地震では元日であったこと、道路の寸断、積雪など、悪条件が重なったと言う。
H道では5日後に段ボールベッドが設置できたと言うが、今回はN町で16日だった。
N町は早いほうなのだ。まだいきわたらないところが多い。
段ボールベッドが感染症やエコノミークラス症候群のリスクを減らせるという。
段ボールベッドがあれば、私もコロナにならないですんだだろうか。
そしてこのニュースは、被災しながら避難所で働いている人たちや介護職員にも、心のこころのケアが必要だと言うことものっていた。
市町村だけで避難所を運営するのは限界があり、イタリアでは訓練を受けた支援者が入り、資機材を持ち込むようになっているという。
避難所の環境は全国どこでも差が出ないように、国が標準化すべきだと書かれていた。

私が求めていた答えがここにあると思った。
避難所ガチャみたいなぜいたく言うなっていうことじゃない。
(そもそもこの避難所だって、W市の職員が運営していない。)
悪い環境の避難所にいれば、関連死だって起こしかねない。
それは避難所の運営をしている人も、介護職員もそうだ。
関連死を起こさないような環境をつくるようにすること。
それも差が出ないような形で。
もちろん言うのは簡単で、実行するのは簡単ではない。
いくつもの大きな地震があったのに、それを今回に活かし切れていないところをみれば、それは明らかだ。
でもそれをどうすればいいか考えていけば、いつか実現できるのではないだろうか。
少しだけ、気持ちが前向きになれた。

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