小説 (仮)被災者になるということ~能登半島地震より 第84話
3月24日 日曜日
紅茶、りんごジャムパン、お魚ソーセージを食べた。
紙コップで飲む紅茶も今日が最後だろう。
体育館の近くの部屋の人に今日で退所するあいさつをした。
お世話になりました、元気でねというくらいだ。
仮設住宅ができるまでどこにもいけない人から見れば、
帰れてうれしいという空気さえ、傷つけるものになるだろう。
部屋のものをまとめて、エコバッグにつめた。
この前もらったマットレスや家から持ってきた毛布は、それぞれ大きなビニール袋に入れた。
トイレに行ったとき、プールの先生と会ったので、今日退所することになったという挨拶をした。
市営のプールと体育館、ジムがどうなっているか気になっていたので聞いてみた。
先生によると、体育館はそもそも建物が使えない状態で、プールは一応大丈夫だが自衛隊が使っていて、撤退した後、避難者が移ってくることになっているので、いつ再開できるのかわからないのだった。
おまけに管理を委託されていた業者が撤退したという。これは私にとってもショックだった。当分、復旧しないことを意味している。
社員は別の地域のジムに異動となり、パートの人はまだどうなるかの正式な通告がない、と言った。
今度、パートの人を集めて話があるというが、わざわざ集めるくらいだから
いい話ではないだろう、と先生は顔をしかめた。
部屋の段ボールベッドを動かし、黒いマットをほうきで掃いた。
黒いマットを体育準備室の他のマットの上に置いてくる。
息子の部屋のマットをずらすと爪切りが出てきた。
高校生にもなって、しっかりしてほしいものだ。
部屋の周りの体育館の床も全体的に掃いて終わりにした。
夫が車をとりに行ってくれ、小学校の駐車場に停めた。給水タンクがなくなったので、場所は空いている。後部座席に荷物をのせられるように倒し、
夫と荷物を積み込んだ。
本部に支援で使っていた洗濯用ネットを持っていった。
母親の分のネットがないのでそのまま使っていいですか、と許可をもらって、また持ってきた。
ランチルームにそのネットを置きにいったら、発熱したときに野菜ジュースをくれたおねえさんがいて、お礼をいい、お世話になりましたと言った。
本当にお世話になったのだ。
運営本部にも顔を出した。ちょうど、スタッフさんたちがたくさんいた。
お世話になりました、ありがとうございました、と頭を下げた。
地震になってから、こればっかり言っているような気がする。
元気でね、と言われた。
息子はまた挨拶に来ると思います、と言うと、お土産とかいらないから遊びに来てねと伝えてほしいと言われた。
スタッフさんたちはみな穏やかな表情だった。
すべて荷物を載せ、本当に家に帰った。
私が今まで寝ていた部屋では電子ピアノが倒れてきたら怖いので、
リビングで寝れるようにしようと考えた。
リビングのソファーベッドの上を片付けた。
ベッドにしようとしたら、床に中の詰め物がボロボロ落ちていた。
劣化してだめになっていたので捨てることにした。
捨てるか迷っていたので諦めがついた。
夫と二人でリビングの窓から出すが、私が持てる限界ギリギリの重さだった。力を振り絞って必死で運び、一気に疲れた。
ソファーベッドのあったところを拭いてきれいにしたら昼近くになった。
スーパーにご飯を買いに行った。明日の朝までの分をまとめて買った。
昼は塩おにぎりと春雨サラダとレンチンして温めた豆腐にした。
冷蔵庫をコンセントにつなぎ、動かした。
これで自炊もできるようになるだろう。
母が雪割草を見にきた。
あまり珍しいものはないが、色は桃色、白色、桜色、藤色、紫色などそれなりにある。沢山咲いている、と喜んでいた。
漆芸美術館の荘川桜も一緒に見に行った。この桜は早咲きだ。
つぼみがふっくらと膨らみ、もう咲きそうになっている。桜が咲いたら、団子を食べたいね、と話した。
ひとしきり話して、母は帰っていった。
持ってきた毛布やマットレスをちゃんとした場所に置き、
ソファーベッドの跡にも物をずらすと、少し落ち着いた形になった。
ビニール袋や割りばしや紙コップなども台所に片付けた。
夜のために米を炊飯器にセットしようとしたら、ほこりが溜まっていたので、拭いてからセットした。
毛布を一枚洗濯機で洗った。
ドラッグストアにも買い物に行き、お魚ソーセージとヨーグルトを買った。
夫と二人で晩御飯を食べながらテレビを見た。
ご飯、総菜の竜田揚げ、ポテトサラダ、カップスープだ。ご飯とスープはいつも使っていた茶碗を使った。
サザエさんの時間にテレビをつけたら、ちびまるこちゃんがスペシャル番組だった。まだタラコさんが生きている時のものだった。夫と次はどんな人になるんだろうね、と話した。
ニュースに変えると、雪割草まつりの映像が映っていた。
こんな状態でもやっていたのは知らなかった。縮小してでも、やることはいいことだ。何度か雪割草まつりには行っていた。来年は必ず行きたい。
仮設住宅のニュースも見た。一人暮らしのおじさんが映っていた。
談話室に行っても誰もおらず、誰がどのへやかもわからず、
ここでの楽しみをどう見つけたらいいかと、悲しそうに言っていた。
東日本大震災でも仮設住宅の孤独死が問題になっていたし、
せっかく談話室があるのなら、小さなイベントなどをやって、
みんなが顔を合わせる機会があるといい。
こんな時に音楽健康指導士が役に立てるはずだ。
避難所の何かと生活音のする場所からくらべると、家はひっそりとしていた。
息子もおらず、さみしいような不安なような気持ちになった。
余震の不安もないわけではない。
それでもパジャマに着替え、慣れた布団で横になれるのは
他の何にも代えがたいものだった。