小説 (仮)被災者になるということ~能登半島地震より 第18話
1月18日
隔離部屋のみんなは、熱はあまりないようだったが、咳が多かった。
夜や朝は咳が多くなる。
私はまだ声がかすれていたが、咳はかなり減ってきた。
父も元気いっぱいで、退屈そうだった。
コロナとインフルは落ち着いてきたが、ノロウイルスが増えそうだという
放送があった。
病み上がりでインフルやノロウイルスになりたくない。
冗談ではなく、生命の危機を感じる。
朝ご飯は、お中元とかによくあるカップ入り水羊かんとスイートポテトひと箱(4個入り)だった。
スイートポテトは金沢の会社だった。
甘さが強いことを除けば、水羊かんは食べやすかった。
スイートポテトも、白湯と一緒に食べるとのどを通った。
そんなに甘くないと思ったが、父は甘いと言っていた。
ランチルームでNさんにもらった野菜ジュースを飲んだ。
今日も三組の家族が隔離解除になり、少しさみしくなった。
コロナが落ち着いてきたから、新しい人も入らないのだろう。
それはいいことだ。
昼はとり野菜みそうどんと笹寿しだった。
(注:石川県ではとり野菜という料理がある。給食にも出たりする。
白菜、にんじんなどの野菜と鶏肉でつくるみそ味の鍋料理。)
うどんも笹寿しも完食できた。
夫にシャワーに入れたかメールしてみた。
昨日入ったが、今日から感染症予防のためにしばらく休止になったそうだ。
隔離解除になっても、まだシャワーに入れなさそうだ。
赤十字は関西のN県に交代したようだった。
検温に来たのは、病み上がりなのか、声の出にくい看護師さんだった。
体調が万全でないのに、こんなところにきて仕事をしているのは大変だろう。
支援しに来てくれている人たちだって、被災者とそれほど変わらない生活をしているはずなのだ。
能登に来てしまえば、水洗トイレが使用できるところはないし、
風呂だってまともに入れないし、食べ物だって自由にはならない。
被災者と違うのは、期限が決まっていることと、帰る家があるということだ。
夫から、体育館に段ボールのパーティションがきたというメールがきた。
待ちに待ったパーティションだ。
大きな進歩だ。
夜はご飯とにんにくのきいた八宝菜のようなものを食べた。
白菜、キノコ、にんにくの芽などの野菜が入っていて、お肉は少しだけだ。
お肉は少なくても構わないし、野菜が食べたいからちょうどいい。
もともと私は好き嫌いがあまりないし、作ってもらえるものには文句を言わず食べるほうだ。
ただ、夫と息子はもともと八宝菜があまり好きではないのだ。
ご飯を食べているだろうか、と心配になった。
メールしてみると、食べているという返事だった。
少しほっとした。
これを機会に家でも食べるようになってほしい。
夜の9時から朝の3時まで寝て、もう一度7時まで寝た。
地震の後、一番まとまって眠れた。
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