小説 (仮)被災者になるということ~能登半島地震より 第57話
2月26日 月曜日
昨日受け取った朝食セットからパンを出し、魚肉ソーセージと紅茶と一緒に食べる。
息子は熱は平熱になったがまだ体調が良くないため、オンラインで授業を受けることにする。黄色い鼻水が出ると言う。
風邪より、副鼻腔炎を疑う。
病院に連れて行こうとしたが、今日は授業が大切だから明日がいいと言われた。高校生にもなると、思うようにいかない。
夫は特に体調に問題はないようだった。
シャワーの予約を父が取りに行くというので、私たち夫婦の分も取ってもらった。
歩いて新しい駐車スペースに行った。夫は仕事に行き、私は義父母の家に向かった。
義父母の家の燃えるゴミを出しに行ったとき、ちょうど近所の人が話をしていた。
家が半壊なので、つぶして建て直したいと言っていた。
罹災証明書の半壊以上は公費解体が申請できる。建て直す元気とお金のある人は良い。解体した人のうち、どれだけの人が建て直すのか、傍からは全く見えない。
父が来てくれて、一緒に片付けをした。
夫がいないので、二階から降ろす役目もすることになり、階段を上り下りした。いい運動になるが、すぐに疲れそうだ。
昼は避難所に戻った。
カップ麺とパックにつめた炊き込みご飯だった。息子の分も合わせて二人分をもらってきた。
息子は食欲がないというので、カップ麺を一つ作って分けることにした。使い捨て容器に半分移し、カップの方を息子に渡した。
いつも、子供の体調が悪いときはうどんを作るのだが、作ってあげることができないのが悲しかった。たまたまうどんのカップ麵なので、あまり良くはないけれど、食べないよりはましだと思うことにした。
余った炊き込みご飯は夫にあげることにしよう。
昼はまた2階から物を降ろした。
土が入っていた汚くてぼろぼろの発泡スチロールがあった。本当なら発泡スチロールは資源ごみになっている。しかし、資源ごみは回収が再開されていないので、割って燃えるゴミに出すことにした。
割るのも面倒だが、割ると細かいくずが出るので、掃除も面倒だった。
掃除機のフィルターのことを忘れていて、掃除機が使えなかった。
父が実家から掃除機を持ってきてくれて、かけてくれた。
災害ごみを外に出しているときに、家の前をS宅急便のトラックが通っていくのが見えた。
配達を再開しているようだ。この道では配達の人も大変だろう。しかし、配達してもらえるとありがたい。
2階の本のたくさんある2つの部屋をのぞいて、いらない物をすべて降ろすことができた。
父は台所はどう片付ければいいかわからないというので、2階から降ろした物の仕分けを頼み、私は台所を本格的に片付けることにする。
台所も物をずらして、掃除機をかける。
カセットコンロのボンベが使用済みと未使用を合わせて18本ある。
少ししか使っていないのに錆びているものものあり、うんざりする。
何年分溜まっているのだろう。これは災害ごみでは出せない。処分の仕方を後でネットで調べなくてはいけない。
一つの食器棚から食器を降ろし、割れているものは箱に入れる。
そもそも食器棚の中にもカビが生えている。何年も掃除されていないのがわかる。一度全部ずらして拭かなければ。
昭和の匂いのするバケツ型のガラスのアイスペールになぜか子供向けのアヒルのついたマドラーが入っていた。
ワイングラスやブランデーグラスなどもあった。お酒を飲む義父のものだろう。ワイングラス、コップなど、ガラス製の薄いものは、ほとんど割れていた。
傷のないものはいったん床に並べた。テーブルの上に置くと、地震がきた時に落ちて割れると思ったのだ。
そして、自分の身の安全も確保できるように、避難用通路を作っておいた。
食器を全部床にならべて、棚をアルカリ電解水のウェットティッシュで拭いた。
カビは思ったよりもきれいにとれた。油汚れにカビがついているのだった。
グラスにもカビはついているので、洗剤で洗い、乾いたタオルで拭きあげた。義母は私がここまでしているとは思ってもいないだろう。
でも割れたものだけを片付けて、カビを放置しておくわけにはいかない。
義母のためではない。自分の信念のためだった。
今日はシャワーの予約が入っているので、5時には撤収した。
まだまだ終わりそうになかった。
家に帰って、シャワーの着替えなどを準備し、上司に明日27日と29日を休みたいと伝える。
一応、28日は会社の一斉清掃だから行くことにしておく。
27日だけで終わるような状況ではない。上司も被災しているので、多少同情的な反応がある。
地震休業が延長できなかったことが、今でもくやしい。
避難所に戻ってすぐにシャワーに行く。さっぱりする。毎回解放感がある。
夜はご飯ときのこ多めの卵とじだった。
卵とじはわりと上品な味だが、一品ではもの足りない。
父がおつまみのチーズ鱈をくれたので、それも食べた。チーズ鱈が本当においしく感じる。
父はお酒をのまないが、おつまみのようなものが好きなので、私たち姉弟も小さい頃はおやつに、サラミやさきいかなどをよく食べた。
結婚してからは食べていなかった。小さいころの自分を思い出す。
本部のSさんの放送があった。
「まだ皆さん、いろいろと大変な状況だと思います。皆さんが避難所を出ていけるようにサポートしますので、困ったことがあれば、本部前に私の携帯電話番号を貼っておくので電話してください。」
トイレに行ったときに、ちょっと見ると本部のドアのガラスに、本当に携帯電話の番号が貼ってあった。避難所を出られない理由は人それぞれだろう。
市役所の職員でもないSさんがここまでしているということに、頭の下がる思いだった。
母から電話があった。
とても興奮しているようだった。弟と電話でけんかをしたようだ。
「XX(弟)が仮設住宅ができるまでには2年もかかるから、
2年はW市に帰れんってゆうげ(言うの)。」
「2年はちょっと大袈裟やろ。そんなこと言う?」
「そうや、そやしゆうてやってん、あんたの家に住まわせてくれれば、すぐに帰れるがに、ずっと一人でばあちゃんの面倒をみなならんがや、どんなに大変かわからんやろって。こっちに来た時も、服も持って行ってくれんかったし、仮設に入られんげったら、みなし仮設に入って仕事するから、家にある服も全部捨ててくれって。」
母は時々このように感情的になることがあり、私も弟も以前から母を刺激しないようにしていた。
母の電話からではけんかのきっかけがわからないが、ひとまず母を落ち着けるようにした。
「今、小学校で仮設住宅を作り始めたし、2年かかることはないよ。
前に電電公社の寮があったとこあるやろ?あそこにも建てるっていう話やよ。どっちかは当たって帰ってこれるって。服もまだ捨てんやろうし、お母さんが帰ってきてから、いらんやつ捨てればいいがいね。」
母はまだ気が収まらないようで、弟の家に住めればこんな苦労をしなくてもいいというようなことをさんざん言っていたが、みなし仮設に入るといって、電話を切った。
祖母はどうしているのだろうか。
祖母にも八つ当たりをしないか心配だった。祖母は携帯電話がないので、直接話すことができない。ここまで興奮しては、代わってと言うこともできない。祖母もいつものことだと諦めているだろうか。
昼の作業で体が疲れていたので、消灯後すぐに眠ってしまった。
3時に延長ボタンを押して、また眠った。