小説 (仮)被災者になるということ~能登半島地震より 第79話
3月19日 火曜日
息子が旅行に出発する日になった。
6時に携帯の目覚ましがなって起きた。ほとんど寝ていない。
ぼんやりしていたら、息子が早く車にのりたいというので、水とパンだけ食べた。
着替えて上着とくつ下をはいて、出発する。
夫も起きてきて、3人で車に乗り、高校まで送った。
避難所に戻ると母から電話があって、祖母の保険証をコピーして欲しいと言うので、とりにいったらランチルームにいなかった。
弟の家にいた。
避難所にあまり居たくないようで、起きたらすぐに弟の家にきたと言っていた。コピーはあったのだが、父がなくしたという。
確かにセレモニーホールで何か渡していたが、あんな変な時に渡したのが良くなったのだろう。
本当は祖母が亡くなったときに、デイサービスセンターに退所の手続きをしなくてはいけなかったらしく、もう一度そこまで行く必要があるということだった。
保険証をいったん預かって、避難所へ戻った。
寒いが春の日差しを感じた。
仕事はコツコツと丁寧にやって資料にまとめた。
保険証をコピーをして、母に連絡したらすぐに取りに来た。
昼は炊きだしがないと聞いていたので、スーパーに行き、塩おにぎりとごぼうとこんにゃくの煮物と豆腐一丁を買った。
精進料理のつもりだった。
塩おにぎりはおいしかった。
煮物は少し味が濃かった。豆腐の上に煮物をのせてレンチンしてみた。
豆腐にも味がついてちょうどよくなり、家庭的な味になった。
鉢植えの雪割草がたくさん咲いていた。
毎年夏にいくつも枯らしてしまう。今年も咲いてよかった。
雪割草は個性が豊かで、少しづつ違うところがいい。気温が上がってこないと花が開かないので、昼が一番見ごろになる。
気持ちが落ち着く。
午後は午前よりもさらに忙しかった。
今日中に終わらせなければいけない仕事があった。
休憩する間もなかった。でもギリギリ間に合わせることができた。
夫が家でお風呂に入ったので、私もその後に入った。まだ気持ちは落ち着かないが、体が温まった。
夫が義母に呼び出されて、灯油を運びに行った。
灯油を配達してもらい、ポリタンクにいれてもらったのだが
玄関から運べないのだった。いつもは配達の人に運んでもらっているらしい。灯油が運べなければ、灯油ストーブを使うのも難しくなるだろう。
雨のなかを二人で帰った。駐車場から数分だが、傘をさして歩かなくてはいけないのは少し不便だった。
避難所の玄関横に電光掲示板が置いてあった。
災害関連の手続きなどが表示されていた。
夜ご飯を本部にもらいにいった。
息子が昨日、本部にあいさつしてったよとボランティアのKさんが教えてくれた。息子が旅行中に退所することになるという話をした。
私と揉めたボランティアスタッフさんが、赤ちゃんを背中におんぶしたまま、私のご飯をよそってくれた。ご飯といろいろな具のハヤシライスだった。ありがとうございますと普通にお礼を言った。
ご飯のあと、母が体育館まできた。デイサービスに郵便を出したと言った。
NHKの歌番組が見たいのだが、体育館もランチルームも民放が映っているので見れない、という。NHKなら玄関でやってるよ、と教えてあげる。
それからもなんやかんやと話し続けたので、少し煩わしくなって
歌番組もう始まってるよと言って、軽くあしらった。
家に祖母から買ってもらったドリンクがあったことを思い出した。
以前にスーパーに連れて行ったときに、どれが好きかと聞かれて買ってもらったのだった。
あのドリンクは忘れずに大切に飲まなくては。
息子からの連絡は全くなかった。夫にいうと、そんなもんだろう、と言われた。親離れ、子離れというのはこういうことか。
少しさみしいが、これでいいのだ。旅行を、そして通常の生活を楽しんできてほしい。
お風呂に入ったのでよく眠れた。