小説 (仮)被災者になるということ~能登半島地震より 第61話

3月1日 金曜日

暖かい日だったので、ストーブは消えていた。
延長の音に起こされずに朝まで眠ることができた。

朝は余っているお菓子と白湯にした。
パンもあるが、賞味期限内が近いお菓子を先に食べなくてはいけなかった。
支援物資は非常食を除くと、賞味期限が近いものが多い。お菓子を食べることにもうんざりしてきた。

久しぶりの仕事だが、やる気が出なかった。
今、自分がしなくてはいけないのは家の片付けなのに、どうして仕事をしなくてはいけないのだろう。給料のためだとわかっていても、片付けが進まないことがストレスになる。
それでも仕事を始めたら、それなりに集中して進めることができた。
元々仕事内容自体が嫌いな訳じゃない。

休憩時間にスーパーに買い物に行ったが、何も食べたいものがなかった。
食欲がすっかり落ちていた。夫や息子の食べるものを買った。
それから避難所に戻った。
昼は鶏団子入りスープと若布ごはんだった。
今までの私なら足りない量だが、これで十分だった。

家に戻ると、生協の宅配が届いていた。
近くで買えないものが買えて、ありがたいとしみじみと感じた。
仕事の続きをする。

夕方になり、息子からどの弁当がいいか電話があった。
夜はコンビニ弁当だが、3種類あるという。選べるのはいいことだ。
夫と私が二人とも食べそうな弁当としてオムライス弁当と豚カルビ丼弁当をもらうことにした。
今日は午後いっぱいトイレにいかないですんだ。
慣れてきているようだが、足が浮腫んでいる気がする。

避難所に戻ってから、義母に電話をした。
地震保険のこととか、もらった弁当のこととか、わーっとしゃべるので、聞きたいことが聞けない。
やっとご飯を炊けたのかどうか聞く。
炊飯器をつかうのが怖かったので、落下していないお粥メーカーでお粥を炊いて、お味噌汁と缶詰を食べたという。とりあえず、食事ができたようでよかった。
野菜がたくさんあるからあげようかと言ったが、まだ避難所なんでと断った。

夫が帰ってきたが、途中で転んで、両手と両ひざを擦りむいていた。
車道は直ってきているが、歩道は全く直っていない。毎日毎日足元を見ながら歩かなくてはいけない。
手洗い場でペットボトルの水を傷口にかけて、きれいにした。

どちらか好きな弁当を選んでいいよといったら、夫がオムライス弁当をとったので、私が豚カルビ丼弁当を食べることになった。
脂が重くて箸がとまりそうになった。なんとか完食した。カロリーも高く、運動しないと太りそうだ。
今度からは量の少ないものを選ぶことにしよう。

母から電話があった。
K地区の避難所が1つ閉鎖になったというニュースを見たといった。1つ閉鎖になっただけで、他にも避難所はたくさんある。
K地区は水の復旧地域になったから、避難者が少し減ったのだろう。
母のみなし仮設の話で、一緒に書類の確認をした。
母の通帳は父が持っているので、コピーをこっちでして、送らないといけない。
夫がトイレからなかなか帰ってこないと思ったら、息子やその友達と話していたようだ。反抗期の子供に変なことを言わなければいいけれど。

消灯前に歯磨きを済ませ、トイレに行った。
昼は雨だったが今は雪に変わっていた。

消灯した部屋で横になっていて、ふと思った。
土曜日はシャワーが休みだから、家族揃って家に戻り、お風呂に入ってもいいんじゃないだろうか。
それは私たちにとって日常に戻るリハビリにもなる。
まだ試験通水中で、大量に使用してはいけないということになっているが、
週に一度くらいなら問題ないだろう。

息子のいびきが今日もひどかった。
早く治ってほしい。息子が心配になって寝付けなかった。

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