小説 (仮)被災者になるということ~能登半島地震より 第56話

2月25日 日曜日

ストーブの延長ボタンに起こされたのが6時だったので、そのまま起きることにする。
逆算すると12時にも鳴ったはずだが、その時は誰かが押してくれたのだろう。

朝は菓子パンと野菜ジュースだった。
息子は野菜ジュースを飲まないが、私が飲みたいので3人分もらう。

夫が夜起きたとき、ストーブが消えていたのでつけたといった。
今はだいぶ暖かくなってきたので、消えているほうがゆっくり眠れそうな気がする。

夫と家で片づけをした。
私は婚約指輪と結婚指輪の箱を探し出し、箱を開けて久しぶりに眺めた。
どちらも何年もつけておらず、薬指に入らなかった。
大切な指輪を何年も放置して、別の指輪が欲しいなんて馬鹿みたいだ。
次に地震があっても散らばらないように、まとめて小さな段ボール箱に入れた。
カナダ土産にもらった小さな金のネックレスも行方不明だったので、それも探し出し同じ段ボールに入れた。

生協の宅配の注文書を書いた。土日も片づけで、地震前のように、家でのんびりできるような時間がとれない。
書き終わるとすぐにスーパーに買い物に行く。
お惣菜中心になったが、伊予柑を見つけたので買った。私は柑橘類のなかでは伊予柑が好きで、毎冬に必ず買う。香りがいい。
最近は他にもいろいろと美味しい品種が出ているので、人気が落ちているのではと余計な心配をしている。

グラウンドに車を停めて、避難所に戻ったら、車を今日からもう移動してほしいという放送があったので、夫も私も車をずらしにいく。
移動先には本部の人がいて、場所を控えていた。
つまりはいつも同じ場所に停めたほうがいいということなのだろう。
雨は降っていたが、傘を持たずに出てしまった。
歩いて帰ってきて、コートがぬれてしまった。ストーブの前にコートを置いて乾かした。ティアラの飼い主のMさんとお昼遅いですね、と話していたら、モデルの人が運営している会社の炊き出しだと教えてくれた。
炊き出しと、支援物資の配布があるそうで、化粧品も配布されるということだった。MさんがSNSで予告されている画面を見せてくれた。
その人の名前と離婚歴があることくらいしか知らないのでネットで調べてみる。偽善だとかいろいろ叩かれたことがあるらしい。それでも続けているのはなかなかできることではないし、偽善ではないということになるのだろう。偽善でも売名でも、支援してくれているのは本当のことだ。
ただ、単の着物や飲めないほど辛い味噌汁を支援されても困るので、ほんの些細なことでもいいから、必要とされているものであって欲しい。
配布時間が遅れているせいか、支援物資の行列は今までにないくらいに長かった。外の人が多かった。外の人かどうかは一ヵ月以上たって、自然と見分けられるようになっていた。
1時に配布が開始された。
プールの先生が、ちゃんぽん麺の列に並んでいる高校生に、女子はご飯食べないで支援物資の列に並ばなきゃ、と冗談を言っていた。
ちゃんぽん麵はウズラ卵が入っていて、野菜たっぷりで美味しかった。
例のモデルさんは今日は来ていなかった。他の場所には来たことがあったようで、来なくて残念という声が聞こえた。
私はおいしいごはんが食べられれば、それで十分だ。
取材陣がきて混雑するのはむしろ嫌だ。

ご飯を食べた後で、まだ支援物資を配っているようだったので行ってみた。
ペット用品の物資もあった。ペット用の物資はまた別の団体のようだった。
支援物資を配っていたのはS市の職員で、たくさん持って行ってください、と押しの強い感じでどんどん渡された。肌着もあった。
もらった中にフランス語の書かれたスープがあったのだが、インスタントの一人用ではなく、料理用で500mLのお湯でつくるものだった。
避難所の中では使えない。自宅避難者向けだろう。
こういうミスマッチもどうにかならないだろうか。

ご飯が遅かったのと、支援物資をもらったりしていたので
いつもより作業の開始が遅くなった。
雨なので、外での作業ができず、家の中で仕分けをする。
文房具やライターなどのこまごまとしたものだ。これらはただ、まとめて置くだけだ。仕舞うのは義母が帰ってきてからするだろう。ビニールテープもいろんな色と幅のものが見つかった。
アルミラックなど捨てる金属が少しまとまってきたので、父が資源回収業者に持って行ってくれた。前に、実家の金属などを持っていった時、それなりの金額で引き取ってくれたそうだ。
二階が片付いてきたところで、夫が傾いていると言いだした。
水平器もビー玉もなかったのだが、丸いものを置くと、確かに転がるようだった。
住み続けられるのか心配になる。

家に帰って休んでいると、隣の家の息子さんが解体工事のための同意書を持ってきた。
隣は中規模半壊となっている。
解体工事中に敷地内に入ることがあることに同意するという内容のものだった。解体工事はだいぶ遅れているので、6月くらいになるのではないか、ということだった。息子さんは市役所勤務なので、一般の人が言うより真実味がある。
息子さんは仕事のためにこっちに残って避難所で生活しているが、母親は病気が見つかり、金沢の病院で手術をして、今は入院中ということだった。
口は元気ですよ、と言っていたので、少しほっとした。

息子がのどが痛いといって帰ってきた。コロナかと思って不安になる。
昼にスーパーでやきそばを買ってあったのだが、いらないと言われた。
熱は37.0度だった。

夜はいわし缶、ブロッコリー、きのこ、サツマイモなどのカレーとご飯だった。
昼に買ったごまだれ中華サラダを食べる。あまっていたやきそばは父に持っていた。
昼間に売った金属のお金をもらった。封筒に明細書と一緒に入っていて、約5000円もあった。単価とグラム数と合計が書かれていて、アルミが高かった。このお金を父に渡そうとしたのだが、受け取らなかった。
家の分も売ってきたし、といってその明細を見せてもらったのだが
2万円くらいだった。
金属泥棒などが時々ニュースになるが、お金になるというのがよくわかった。

夫も息子も早い時間に寝てしまった。
熱を出さなければいいのだけれど。

放送がかかり、朝ご飯を2日分、今から配ると言うことだった。
1日分のパン、野菜ジュース、カップスープが袋に入っていた。
3人分を2日なので6袋もらってきた。
これなら朝、配るのに合わせて起きなくていいので楽だ。
パンも長期保存クロワッサンなので、息子が食べてくれるし助かる。

その後にも放送があり、消灯してからテレビや動画を見る人はイヤホンをしてほしいといった。
テレビがない時代はどの家庭もねる時間はあまり違いがなかっただろう。
現在のように、仕事も趣味も多様化してしまっては、消灯が9時半だと
遅いと言う人もいれば、早いという人もいる。イヤホンを使ったほうがみんなが平和になる。

3時の延長ボタンを押して、明日のやることを考えて眠れなくなって、
メモをする。
早く片付けができないと、有給を何日使うかわからない。精神的なプレッシャーがかかっている。
メモを書き終えてから、もう一度眠ってしまった。

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