小説 (仮)被災者になるということ~能登半島地震より 第82話

3月22日 金曜日

バナナ、紅茶、りんごジャムパンを食べた。
今日から少しづつ、避難所から家に物を運ぶことにする。
毎日は使わないものや、息子のものなどだ。

使い終わった機材を届けるため、仕事に入る前に会社に行く。

会社ではまだ、一人だけしか出社していなかった。
最近の生活はどうか聞いてみた。
Tさんの家はまだ水道が来ていないそうだ。
近くの小学校のあたりまでむきだしのパイプで仮復旧してあり、もう少しらしいが、いつになるかはわからない。
Tさんが「おばあちゃん、大変だったね。」と言った。
K市に二次避難して、倒れてそのまま亡くなったこと、
本当の家族葬になったこと、お骨も置くところがないので
お寺に預かってもらっていることなどを話した。
会社のビル自体は仮設トイレのままで、壊れていたドアが直ったくらいであまり変わっていなかった。
今日は天皇が被災地に来られるというので、道が混雑するかもしれないので、急いで帰る。どこを通るのか知らないし、もし見たところでどんな反応をすればいいかもわからない。
もちろん天皇が来られるのはありがたいことだ。国民に心を寄せるそのお気持ちはすばらしいと思う。
以前、皇太子の時にも来られたことがあった。その時は会社のみんなで外に出て、沿道で新聞社の紙の国旗をもらった。たくさんの人が旗を振りながら見ていた。警備の車が前後を囲んでいて、時速30キロくらいで通りすぎて一瞬しか見れず、写真も難しいほどだった。
今回は旗もないし、たくさんの人もいない。

家に戻ってからは仕事にあまり集中できなかった。

昼はスーパーに行き、塩おにぎりと50円引きの筑前煮とヨーグルトとかにかまにした。
かにかまはスギヨを応援する気持ちで買った。
筑前煮は肉が一切れしか入っていなかった。安いから仕方がない。
かにかまとヨーグルトを買っておいたおかげでたんぱく質が補給出来て良かった。
全部合わせると値段はそれなりになるが、今は栄養が大切だ。
生協の宅配が届いていたのを片付けた。当たり前のことだけれど、届いているだけで少し安心できた。

午後は少し眠いけど、仕事は進んだ。
目玉焼き丼を作って食べたいという気持ちが湧いてきた。丼と言っても、目玉焼きをご飯の上にのせて、しょうゆをたらすだけだ。「美味しんぼ」で目玉焼き丼と呼んでいた。
食欲が出てきたのはいい傾向だ。

仕事が終わり、避難所から持ってきたものを片付けて、避難所に戻った。
本部に行ってご飯をもらった。今日はKさんがよそってくれた。
夜はご飯と何風かわからないあんかけだった。
和風のようだが、ニンニクの芽が入っていて、はっきりしない味だった。
まずいというわけではない。
ミニサラミを夫と二人でわけて食べた。

夫が支援物資のふうせんガムを食べて膨らませかたがわからないという。
子供の時にやっていないようだ。
私がやってみせた。
ガムをいったん丸めてから、舌先で中心をへこませて、周りを丸く整え、唇で押さえてから、へこみの部分に息を吹き込むと教えた。
私は数センチほど膨らんだのだが、夫はできなかった。
小さいうちにやっておかないとできないものなんだな、と思った。

ふと思い出し、ネットで通信教育の講座を探した。
よくお正月など、本屋でチラシをもらうので以前にも見たことがあった。
高齢者傾聴スペシャリストと音楽健康指導士というものが気になった。
どちらも今の状況で、役にたつのではないかと思えた。
例えば、傾聴ボランティアをすることで、落ち込んだ気持ちが少しは軽くなるかもしれない。
音楽健康指導士になれば、仮設住宅の談話室のようなところで、
レクリエーションをして、リフレッシュや交流の一助になれるかもしれない。
私の性格なら傾聴のほうが向いているが、音楽健康指導士のほうが
役にたつ機会が多い気がする。仮設住宅がこれからたくさんできれば、そういったことが必要になってくるだろう。
そして、気持ちも明るく続けられそうだ。傾聴は自分のメンタルがやられそうな気がしてきた。
音楽健康指導士について、もう少し調べてみよう。
できそうなら、講座を申し込んでみよう。
以前は、収入につながりそうにないからと思って、申し込まなかったのだ。
でも今なら、収入にはならなくても、人の役に立てることが大切に思えた。
少し気分が前向きになれた。

今日も朝まで眠れた。

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