小説 (仮)被災者になるということ~能登半島地震より 第78話

3月18日 月曜日

朝になって、体育館の部屋がふたつ空いているのに気が付いた。
段ボールベッドだけが残っている。
一つはショコラのいた部屋だった。
夫に聞くと、昨日はもういなかったそうだ。
ショコラと会えないのはさみしいが、いいことだ。
少しずつ、復旧に向かっている。

朝はパンとにんじんジュースにした。
息子は学校に行った。
本当は今日まで慶弔休暇なのだが、仕事を休んでしまった分を
取り戻さないといけないため、仕事を休めなかった。
葬儀関係は全部済ませているので、仕事ができないわけではないが
せっかくの権利を活かせないことがもったいなかった。
朝から忙しかった。

お昼に義母から電話があった。
病院に薬を取りに行ってほしいということだった。
すぐに薬を取りに行った。そのため、避難所に戻る時間がなくて、スーパーで幕の内弁当を買った。
お湯を電気ポットでわかして、紙コップで白湯を飲んだ。

午後もさらに仕事が忙しかった。
仕事が終わらなくてサービス残業することになった。
7時すぎに避難所に戻った。
ご飯を本部でもらおうと思ったら終礼をしていた。
5分ほど待ってみたがもらえるような雰囲気ではなかった。
諦めてカップ麺にお湯を入れに行ったとき、母とちょうど会った。
市役所から葬式代の補助が出るらしかった。
カップ麺、お魚ソーセージと支援物資にあった自然薯チップスを少し食べた。
夫はいつものように買ってきた弁当を食べていた。

父のところに行き、高齢者教習がどうだったのか聞いた。
高齢者教習は簡単で、大丈夫だったと言った。
今日は下痢はしないのだが、腹痛がひどかったというので
あまり悪かったら病院行くようにと言った。
父は以前勤務中に倒れて、救急搬送され入院したことがあった。
病院の看護師が少なく、入院患者の受け入れが以前のようにできないというのだから、普段よりも体調に気をつけなくてはいけない。

夜は一度眠ったのだが、12時に目が覚めてしまった。
ふと祖母を思い出して、祖母がいないことが悲しくなった。
祖母と以前、お墓の話をしたことがあった。
私が結婚して初めてのお盆を迎えた後のことだった。
その日は父と母が仕事に行き、弟は遊びに行っていた。
実家には祖母と私の二人きりだった。窓を開けて、扇風機を回していた。
私はお墓の話をした。
いつも墓参りをするとき、ぼんやりとではあるが、いつか実家の墓に入るのだと思っていた。しかし、結婚したので、もう実家の墓に入れないと思うとさみしく思う、と言った。
祖母に実家の墓に入りたいと思うかと聞いた。
もう、実家の墓には入りたいと思わないと言った。
「それに墓にはTが入っているから、入らなならんやろ。」
Tというのは、祖母の子供、つまり母の兄だった。
母の兄は中学生のときに、小児がんで亡くなったと聞いた。
いわゆる逆縁だ。
私はそれによって、祖母や母がどれだけ傷ついたか想像もできない。
二人とも詳しくは話したがらないし、私も聞きようがない。
この話はずっと以前に聞いていたので、Tが誰のことかは知っていた。
そっか、とだけ言った。
今、祖母のお骨はお寺に預けている。
能登では大体四十九日にはお墓に入れるのだが、
お墓が壊れているから直すまで墓には入れられないと父は言っている。
家のことがあって、墓のことまで手が回らない。
業者もなかなか来れない。
入るはずだったお墓に入れないことが、やりきれない気持ちになる。
浄土真宗では「往生即成仏」というのだから、骨がどこにあるか関係ないと
思うこともできる。
仏になって、先に亡くなった人と会っているに違いない。
そう思えば少し気が楽になり、浄土真宗が宗教としての役目を果たしているように思えた。
そのうちにストーブの延長音がなった。3時だった。
延長ボタンを押してから眠った。

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