小説 (仮)被災者になるということ~能登半島地震より 第25話
1月25日
朝起きてトイレに向かうと、外は雪が吹雪いていた。
数センチほどしか積もっていないが、寒さが違う。
手洗い機が玄関の中にあるので、ありがたい。
トイレのたびに手がきれいに洗えるので、爪の間もきれいになってきた。
朝は缶入りパンだけだったので、家から持ってきたコーンスープも飲んだ。
息子は避難所の中のボランティアに行った。
会社からメールがあり、2月1日から勤務するようにとのことだった。
しかし、2月1日からというのはどういう理由だろう。
地震発生時と状況はほとんど変わっていない。
まだ断水していて、家にも帰れない状況が続いている。
私と夫が順にでコロナになり、片付けもまだたくさん残っている。
二次避難している人もいる。
こんな風に一方的に通告してくる会社が嫌いだ。いつもそうだ。
1月分の給料をどうするのかも連絡がない。
雇用保険の失業手当を休業時にも受けられる特例措置があるという。
私はそれでいいし、2月も休業したいくらいだった。
仕事が始まれば、8時間拘束され、もちろんミスは許されない。
災害時だから、避難所に居るから、という言い訳は通用しない。
そんな中でやっていく自信がない。
夫が片付けに行き、私はまたネットを見て過ごした。
お昼はおでんだった。
たまご、こんにゃく、ごぼう天、大根、牛すじ、ちくわが入っていた。
私はおでんが好きなので嬉しい。
息子はあまり好きではないと思っていたが、
余っている放送を聞いて、おかわりをもらってきていた。
夫も好きではないはずだが、黙って食べていた。
午後は夫が避難所に残り、私が家に行き、洗濯をした。
電気ポットは1Lだったので、沸かして保温用ポットに移すのを繰り返した。
炊飯ジャーは台から床に転がり落ちていたのだが、
外側にへこみなどはなかったので、試しに0.5合炊いてみた。
洗濯はシミが全然きれいにならない。
時間がかかって、少しの量しか洗えない。
お湯があって凍えないだけましだった。
避難所に持っていくために、押し入れから圧縮袋に入った羽毛布団をだそうとした。
いつもは雪崩れるのにこんなときだけ引っかかってなかなかでない。
羽毛布団なら軽くて持ち運びしやすいだろう。
ご飯は無事に炊けたようだった。
わかめを混ぜようとしたら、しゃもじがどこにいったかわからなかったのであきらめた。
スプーンで釜を傷つけないように、そっとごはんをすくって、ラップで塩むすびにする。
スプーンのご飯が落ちにくかったので、お湯でつけ置きしておいた。
おせちの重箱もウェットティッシュで拭いただけだったので、お湯できれいに洗った。
冷凍室の下に卵が挟まって割れているのを見つけた。
すでに乾燥してべったりと床にくっついている。
こそげてもなかなかきれいにならない。
あきらめてウェットティッシュを上にのせて置いておいた。
ふやかせば取れやすくなるのではと思ったのだ。
道路状況が良くなってきたので自分の車に布団を積んで、小学校の運動場まで持ってきた。
車の運転は久しぶりで、パンクしないようにゆっくりと走った。
これで車も使えるようになった。
タイヤなどは運動場の砂で汚れてしまった。
私の加入している保険会社から安否確認の電話があり、とても親切だった。
企業姿勢はこのようなところにでるのだろうと感心した。
もちろん、今対応を間違えると悪評がたって、入ってもらえなくなるということもあると思うが。
夜はシチューだった。
にんじん、さつまいも、ピーマン、きのこなどと鶏肉が入っている。
シチューと言ってもとろみのあるスープくらいの濃さだ。
夫は一般的な具材以外が入っているので、いやそうに食べていた。
私は問題ないが、ジャガイモではないのがさみしい。
塩むすびを食べたが、すっかり冷めていて
あったかいうちに食べたらよかったと思った。
悪くはないけど、梅干しがあったらもっとよかった。
玄関の支援物資の中に花のくちづけという飴があった。
ずっと子供のころに食べた覚えがあって、まだあったのかと懐かしくなって持ってきた。
ひとくちチョコも食べた。
この前食べたピーナッツチョコが食べたい。普段はピーナッツの入っていないチョコが好きなのだけれど、非常時だから、ピーナッツがおいしいのかもしれない。
母から電話があった。
義父が病院に入ったということを聞くと、認知症の対応の施設がK市(温泉がたくさんある)で空いているといった。
どういった理由かはわからないが、義母が病院にいれたのだから仕方がない。
祖母の介護認定のためにケアマネが二次避難先のホテルに来ることになっているが、まだ来ないと言っていた。
父からも電話があった。
弟が明日から会社に行くという。今までも車で40分ほどかかっていたのだが、この道の悪さでは、どれくらいかかるのだろう。
弟の会社は建物の横に従業員用のプレハブを建てるという。
その記事が新聞にのっていた。
地震前に事業所を縮小していたので、能登から撤退するではという噂が出ていたくらいだったのだが、プレハブを建てるのだから、事業所を存続させるつもりなのだろうと父と話し合った。
私も仕事に行くことになるという話をする。
夜の歯磨きとトイレを終えて戻ってくると、息子がカップ豚汁を飲もうとしていた。
前に食べた油揚げの味噌汁が美味しかったよと話す。
どうも息子は夜食が好きな傾向があって困るが、非常時なので食べるほうがいいだろうと思い、注意しないでおく。
羽毛布団は温かった。
もっと早く持ってくるべきだった。
これで寒くて起きることはなくなるだろう。
消灯後に何人もの人が物を運んでいるような音が聞こえた。
何をしているのだろう。
夫も私ものぞかず、なんだろうね、と話して、ただ横になっていた。