小説 (仮)被災者になるということ~能登半島地震より 第74話

3月14日 木曜日

昨日のおにぎりを温め、インスタント味噌汁を食べた。
いつも食べるよりも量が多かったのか、少し気分が悪くなった。
せっかくのご飯だったのに。

仕事は今日も忙しかった。

荷物の追跡をすると、営業所まで来ているようだったので、
受け取りができるように家でお昼ご飯を食べた。
もちとインスタント味噌汁と鰯缶にした。

仕事をしていると、宅急便が届いた。
少し仕事を頑張って、休憩時間に開けることにした。

いつもの時間に休憩をとり、箱を空けた。
指輪が想像以上にきらきらしていたのに驚いた。
写真では輝きが表現しきれないのだろう。
ローズカットのうるうるとしたきらめきには、心を鷲掴みにされた。
指にはめた感じは思った通りだった。
華奢なつくりで私の指に似合っていないところも想定通りだった。
鑑別書も入っているが、うっかりして封筒ののりがくっつき、焦りながらはがす。
指輪はまた元の箱に戻した。
気持ちがふわふわしすぎて、仕事に対する気持ちの切り替えが難しいくらいだった。

仕事が終わり、明日の資源ごみをまとめておいた。
そのとき、窓辺に置いたエアプランツのことを思い出した。
カーテンの向こうに隠れているので、普段は見えないのだ。
地震で水をあげるのを忘れていた。一つ枯れてしまっていた。
ショックだった。数年間育てていたのに。もっと早く気付くべきだった。

仕事帰りでも外は少し明るくなってきていた。
もう少しで春分だからだろう。
夫がコンビニでスパイシーチキンを買ってきて少しわけてくれた。
ご飯、根菜の味噌汁、ホウレン草とサバ水煮缶の和え物、鰯缶だった。
いつもより品数が多くて、ありがたかった。

父と話にいった。
畑の草むしりをしたが、なんとなく体調が悪いと言った。
精神的な原因が大きいのではと思ったが、それは言わなかった。
仮設住宅のアルバイトはもう少し先らしい。
また、義援金が入っていないという話をした。
たくさんの人が申請しているのだから、そんなに早く入らないよ、と私は言った。
後でわかるのだが、オンラインで申請した時に、不備があったのだった。
郵便で連絡がきて、再申請することで振り込まれた。

母から電話があった。
弁当が冷たいので、嫌になったという。手作り餃子をテレビで見た、食べたいという話をした。
私も焼きたてのあつあつの餃子が食べたい。
餃子といえば、N町でラーメンチェーン店の再開のニュースを今日見たのを思い出し、その話をした。
北陸ではとてもたくさんの店舗数があるラーメンチェーン店だ。
私は酸辣湯麺という、冬限定のメニューは必ず食べに行く。かきたまと
青梗菜が入っていて、辛さと酸っぱさのバランスが良くて体がとても温まる。本当なら今の時期に食べられるんだったな、と思い出す。
W市は閉店したままだ。N町の再開がうらやましい。
この店も再開したら絶対に行きたい店だ。

息子に取材の話がきたという。
今度、学校にテレビの取材が来て何人か撮影するらしい。避難所生活を撮影したいのだそうだ。私は断るように言った。
ライフラインが復旧し、もうすぐ避難所から出られるところだ。
撮影して放送日までに間があるようなので、放送日に避難所にいないというのは詐欺とまではいかないが、正しくないと思ったのだ。
息子もそれで納得した。
息子はそれと、NPO法人が企画する旅行があるので、同意してほしいと言う。高校の旅行日程とくっつくような形で関東に旅行があるのだそうだ。
NPO法人は地震以前からW市で活動をしている団体で、問題ないだろうと思った。申し込みはウェブからだったので、文章を読んで「同意します」ボタンを押し、後の入力は私が横で見ながら、息子にさせた。
旅行は息子の息抜きになるだろうし、とてもいい経験になるだろう。
私と夫は当分、旅行などできそうにない。

夜は指輪が届いた興奮で寝付けなかった。
指輪はもちろん家に置いてある。
悪いことも良いことも、眠れない原因になってしまう。


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