小説 (仮)被災者になるということ~能登半島地震より 第59話

2月28日 水曜日

3時に延長ボタンを押してから寝れなくなった。
もうボタンを押すのもうんざりだった。家にいつ帰れるのだろう、早く帰りたい。
5時半くらいには早起きな人たちが動き出していた。
そのまま起きていようと思ったのに二度寝して、8時近くに起きてしまった。会社を休むことにしていたので、油断したのかもしれない。

パンを食べ、鉄分入り野菜ジュースを飲んだ。
息子は今日もオンラインで授業を受けるようだった。

息子に薬を忘れないように伝え、急いで出発する。
明日の午前中までにきりのいいところまで終わらせなくては。

父にはまた2階の物の仕分けなどをお願いした。
台所の棚の一番下を見てなかったので開いてみた。使っていないミキサーなどだった。
割れているものはなかったので、触らずに置いた。

父が屋根に上って、瓦を見て銅線がないかと聞かれるが、この家にあるワイヤーはどれも銅ではない。
父が家に取りに行った。
その間に私はトイレに行った。
トイレに行っている間に父から電話がかかってきた。すぐに戻ると伝えた。
なぜか弟もきていて、びっくりする。ブルーシートをかけるために、父に連れられてきたらしい。銅線を取りにいったのではなかったのか。
私のために連れてこられてすまんな、と弟に謝った。
父と弟は一緒に屋根に上った。
ただ、ブルーシートは用意してあったのだが、抑えるような長いひもを用意していなかった。
結局、瓦を少しだけずらして降りてきた。弟が瓦の写真を撮って、見せてくれた。
弟はもう地震の共済金が振り込まれたといった。共済は手続きをすると、振り込みが早いようだった。

父から携帯で撮った写真を印刷するように頼まれた。一緒に家に行き、写真をPCにコピーし、印刷して渡した。それから避難所に戻った。

昼はキッチンカーの牛丼とみそ汁と漬物だった。
能登ではN市に店舗がある。
今回も、避難所の分は先に確保されているため、比較的早くもらえる。
どれもやさしい味で食べやすかった。同級生らしい人が行列に並んでいるのが遠くに見えた。
牛丼屋の店員さんが体育館にやってきて、動画を撮らせてほしいと言って回っていた。店員さんのモチベーションを上げるために、感想の動画を撮影しているのだそうだ。
社内の人間しか見ないのでと言われたし、感謝の気持ちは伝えたいと一度はOKしたが、服は一週間ほど着たままで、とても撮影に耐えられそうもない。店員さんにそう伝えて、息子を紹介することにした。
息子はボランティアの場所で食べていたので、そこに案内した。

急いで食べて、午後はすぐに片づけを再開した。
カビのついたグラスを洗って、乾いたタオルで水を拭き取り、棚に戻していく。皿の間には、キッチンペーパーを挟んでおく。シンクがいっぱいになるので、数回にわけて作業した。

食器を棚に戻している時に余震があり、がたがたと揺れだした。
恐怖と同時に頭がはっきりとし、生きていると強く感じた。不思議な感覚だった。
揺れた時だけ生きていて、その他は生きる屍のように思えた。
すぐにおさまり、食器が落ちてくるほどひどくはなかったのでほっとした。

洗う、拭き取る、棚に戻すを繰り返し、やっと食器棚の中すべてをきれいにすることができた。

掃除機のフィルター掃除の仕方をネットで調べてきたので、フィルターのごみを捨てることができた。少し開ける手順が複雑で、すぐに忘れそうだ。
台所の床ももう一度、かけらがないように掃除機をかけた。
トースターのあみが落ちた衝撃で外れていたので、洗って拭いてとりつけた。
食器棚とは反対の壁もカビのひどい箇所があって、ふくのが大変だった。
カラーボックスも湿気のせいでたわんでいて、捨ててもいいほどだったが、
後は義母に任せることにした。

父が玄関を掃除して、落ちていた外の水道の鍵をみつけた。
5時に終わりにして、父に感謝を伝えた。
避難所に戻るまえに、トイレに行くことにした。途中で会社のTさんに会った。今日の一斉片付け作業は早めに終わったらしい。私が休んだことも特に影響がなかったようでよかった。

夜は社団法人の弁当とコーンクリームシチューだった。
すこし時間が遅かったので、レンジが込み合っていなくて良かった。
弁当をレンジで温めて、おいしく食べられた。
息子に薬を忘れないように念を押した。
少しだけ鼻は良くなってきたようだ。早く治ってほしい。

義母に電話し、片付けが明日には終わることを伝えた。
会社休んでもらってごめんね、無理しないで、としおらしかった。
普段はそんな風に言う人ではないのだが、二次避難がだいぶ堪えているのだろう。
明日11時半にバスで市役所前に到着予定だと言った。

母から電話があった。
みなし仮設に入るために、住民票と家の写真と罹災証明書のコピーがいるという。家の写真と罹災証明書のコピーは私のほうで準備できる。
電化製品の補助は以前と変わったので、先に買わないでと言われたという。
聞いたことを父のところで白湯を飲みながら伝える。
まだ災害ごみに「災」とかいた紙を貼っていないので、明日まとめて貼らなくてはということも話した。

トイレから帰ったら少し早く消灯していた。静かに部屋に戻る。
疲れていたのですぐに眠れた。
3時に延長ボタンをなんとか押して、もう一度眠った。

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