小説 (仮)被災者になるということ~能登半島地震より 第85話
3月25日 月曜日
朝、無事に起きられたことにほっとした。
義母が金沢行きの特急バスにのるというので、7時すぎにバス停までおくってきた。寒いけれど、冬ほどの厳しさは感じなかった。
朝は乳酸菌入りビスケットとスープと紅茶にした。
乳酸菌入りビスケットは夫と息子が食べなくてまだ余っているのだ。
しょっぱいものが食べたいが、仕方なく食べた。
紅茶はいつも使っていた陶器のティーカップだ。冷めにくいのが嬉しい。
燃えるごみを出した。生ごみはないが、いつもよりも量は多い。これだけ家はすっきりしただろう。
整備工場の人が代車を持ってきてくれた。
遅くなってすみません、と言われたが、いえいえ、大丈夫ですよ、と言った。私の車は引き取られていった。
自分の車がないと、代車があったとしても少し心細いような気持ちになる。
早く帰ってきてほしい。
仕事は家でそのまま始められるのが楽だった。わりとはかどった。
昼前に息子が帰ってきた。
お土産に国立科学博物館で買ったカードなどをもらった。
疲れてはいたがとても元気だった。普通に洗面所やトイレが使える環境は
便利だっただろう。息子が旅行に行けて本当に良かった。
W市ではまだ買い物先でトイレが使えないので、使える場所で済ませていくように気をつけている。
お昼休みにはスーパーで息子と私のご飯を買ってきた。
舞茸ごはんときつねうどんにした。
きつねうどんはそのままレンジで温めるものだったが
どんぶりに移してレンチンした。おいしかった。
息子もおいしいと言った。
プリンターを使っていたら廃インクタンクがいっぱいのエラーがでてしまった。このプリンターは家で廃インクタンクの交換ができず、修理受付も終わっているので買い替えるしかない。
10年以上使っていたので仕方ないのだが、
どうしてこのお金のいるタイミングなのかとため息が出た。
3地区で断水になったという消防署の放送があった。
その地区に我が家も含まれていた。
息子が水を出すと水圧は弱いが、まだかろうじて出ていた。
せっかく家に帰ってきたばかりなのに、断水なんて。
昨日までいた避難所も断水地区に入っているので、また給水車が来るを待つしかないだろう。
まだ復旧し終わったわけではないというのを、思い知らされた。
仕事が終わったあと、義母から電話があったので迎えに行った。
義父は元気にしていたと言った。
実家の父母に持っていくようにと、金沢の和菓子屋のきんつばをお土産にくれた。
晩御飯はレトルトカレーと惣菜のから揚げと棒々鶏サラダにした。
総菜は紙皿にのせて洗わなくてもいいようにした。
カレーをのせれるほどの大きさの使い捨て容器はないので、普通のお皿にのせた。
久しぶりの親子3人、テーブルで顔を見ながらご飯を食べた。
気持ちが和んだ。
カレーのお皿は少ない水でなんとか洗えた。しかし夜には完全に出なくなった。
ペットボトルの水は置いてあるので飲み水は問題ない。
トイレは簡易トイレを使うしかない。
明日も出なければ、断水していない地区から給水してくるしかない。
今までの経験があれば、これからも何とかやっていけるだろう。
もう不便なことに慣れてしまっていた。
今日も布団で横になると、しみじみと嬉しさがこみあげてきた。
やっぱりこの硬さがいいのだ。
夢を見た。
私と弟と祖母がバスに乗っていた。中型の乗り合いバスだった。
弟と祖母はならんで座り、私はその前の席に座っていた。
そこは京都だった。歩いている人は少なかった。
「ばあちゃん、鳥がおるぞ、何かな。」
祖母はただ頷くだけだった。
次が降りる停留所だ。私は「止まります」のボタンを押し、
「ばあちゃん、次、降りるよ。」と声をかけた。
バスが停まると、祖母は杖をついて歩き、
私は祖母の前を歩いた。弟が祖母の荷物を持った。
バスを降りて私たちはベンチに腰かけていた。祖母の乗るタクシーを待っていたのだ。
霧の向こうに大きな橋が見えた。
タクシーが着いて後部座席のドアが開き、祖母が乗り込んだ。
これは祖母だけが乗るタクシーだった。
祖母は手を振っていた。おくってくれてありがとう、というように。
私と弟も手を振って見送った。
夢の中ではさみしいということはなかった。それはただの旅だから。
了