小説 (仮)被災者になるということ~能登半島地震より 第67話

3月7日 木曜日

午後に体育館で音楽会があるという放送があった。
元大統領夫人だったタレントと音楽家の方が来るのだという。
でも仕事があるので、残念ながら見れない。
今日はたまたま息子が午後休みだというので、見てと頼んでおいた。

朝ご飯はパンとお魚ソーセージと紅茶の組み合わせにする。

仕事が忙しくてバタバタしていた。
その途中、父がやってきて、コーキング剤を見つけたので、下水管にコーキングをしてくれるという。
下水管を拭く雑巾や、ヘラの代わりのプラスチックのスプーンを用意した。
仕事中だが、放っておくわけにもいかず、横にいて見ていた。
コーキングは約3日で完全に硬化するらしい。
父は下水管周りの割れたところにも、余ったからといって、コーキングをしてくれた。
夫はこのようなことが苦手だ。父がやってくれて、本当に助かった。
地震になってから、家族のありがたさが身に染みる。

父が帰ってから宅急便が来た。
夫の荷物で、家まで配送できるようになったらしかった。
やっと届くようになったことが嬉しかった。
私の荷物は営業所止めにしたが、そうしなくても良かったのかもしれない。

昼は中部のN市青年会議所の炊きだしだったが、避難所の中の人だけでも、長い行列になっていた。
メニューが3つほどあって選べたので、それが原因のようだった。
並んでいると仕事に間に合わなさそうなので、あきらめることにした。
会社員なら行列のついてる店をあきらめて、早い店にいくのは当たり前だろう。この場合は店ではないけれど。
カップ麺を食べた。

午後も仕事はバタバタした。
やっぱりすぐに集中力が切れる。
家が散らかっているせいで集中できないのもあると気づいた。
もう少し整った環境でないと気持ちが落ち着かないらしい。目のつくところだけでも整頓をした。

晩御飯はご飯と和風あんかけだった。
もの足りなかったので、おしるこを紙コップで作って飲んだ。
体操用のテレビ前に座っていたおばあちゃんたち3人にもおしるこをあげた。作り方を説明した。

息子に昼の音楽会の話を聞いた。
元大統領夫人は最初に話し、その後歌手の人が、昭和歌謡を歌ったそうだ。
うちの子には曲名はほとんどわからなかったらしい。ふるさとも歌ったと言った。
息子が携帯で撮った写真にはすてきな笑顔の元大統領夫人とスタッフ数人が写っていた。支援物資の箱がその後ろにあった。
決して若くない元大統領夫人が、このような果てまで車でやってきてくれたことには感心した。スタッフにもお金がかかっただろう。
普段から雇っている人たちかもしれない。
支援物資もありがたかった。セレブらしい慈善活動に思えた。
ただ、その支援物資の箱の中がなんだったのか、私たちにはわからなかった。運営の手伝いの人なら知っているかもしれない。
そのため、これがもらったものかという感動がなかった。
だからといって、これがそうですよ、というのも押し付けがましいし、これくらいでちょうどいいのかもしれない。
少し、割り切れない思いになるのは、たまたま選ばれた場所にいたということだ。報道によると、2か所ほどしか回っていない。選ばれなかった人たちに恩恵がないのかと思うと、申し訳ないような気持ちになる。
別の芸能人が来ている場所もあるので、どこかで何かがあるだろうと思うしかない。

全然寝付けなかった。
明日のやることを考えていた。明日の午後は私の通院の日だ。
3時の延長をおして、それから眠った。

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