百閒 ☆158
年末からずっと働いている。2日の今日休んで、明日明後日も仕事だ。
こんなふうに人が休んでいる間は働いて、人が働いてる時に休めるような、仕事を選んでしまう事が多く、そういう星まわりのもとに生まれついたものと諦めている。
というか、苦にもしていない。なので私としては、ゆっくりと年始気分に浸るのは今年は5日からとなる予定だ。
BOOK・OFFで捨て値で売られていた単行本を数冊買って、そのまま読まないで忘れていたのがあるから、それを読んでいる。
内田百閒(ひゃっけん)の、夏目漱石の事を書いているのだけを集めた随筆集はとても面白く、愛おしい。
百閒は、そもそも漱石の弟子であり、漱石を神のように崇拝している。
子どもの頃から漱石が好きになり、漱石推しのオタクみたいなものだった。ずっと漱石を追いかけてファンレターも幾つも書いて返信ももらっていたが、
初めて邂逅したのは、百閒が帝大に入学した後、漱石が入院しているところへ見舞に行ったが、憧れの人を前にして碌に口も効けない。却って漱石が気を使って話し掛けている。
それより百閒は漱石にずっと付き従い、漱石の世話や手伝いもしたけれども、打ち解けて親しく口を効くような事はなく、師として漱石を拝み観ていたように伝わる。
けれど、百閒も当時の文士にありがちの、経済観念の欠如した人だから、蓄財なんぞしないで気儘に散財するような人で、
折しも西班牙風(スペイン風邪)が大流行し、家族の者が全員罹ってしまい、やむを得ず、看護婦を雇って看てもらい、いよいよ金に困って、漱石に借財を頼みに行ったが、
生憎、漱石は湯河原へ湯治に行って不在であったので、困った百閒は電車賃すら片道分ギリギリだったのに、湯河原の宿まで漱石を訪ねに行くのである。
だけれども、その宿に本当に漱石が泊まっているかどうかは、行ってみなければ分からないのである。不意に気が変わって行先を変えていたり、百閒が向かったその日に東京に帰ってしまう可能性もある。
それを承知で、一途に(或いは無鉄砲に)漱石を頼って内心ドキドキしながら、往路の旅費も持たず、空手で師に会いに行くのだ、大金を借りる用事で。
百閒という人は、こうと思ったら、他の道を考えず、その通りにしてしまう人で、徹底しているのである。
この時は上手く行って、漱石にも会え、借財も叶ったのだが、にっちもさっちも行かない事も、多分たくさんあったに違いない。
しかし、後さき考えずに思うがままに動いてしまう。金が無くても、ビールが飲みたければ飲むし、旅に行きたければ、借金してでも列車に飛び乗ってしまう。
明治の人の、丹田の練られている事よ。
そんなだから度々困窮し、漱石縁の墨跡や書も売り払って何とか暮らした。でも長生きで81歳まで生きた。
因みに、漱石の享年は49歳という若さである。
百閒のように、思うがままに生きられたら素晴らしい。