インディア ☆120
私が初めて外国旅行したのはインドであった。
と言ってももう30年以上前の事だから、私のインド体験はこれから行こうとしている人が読んでも何の参考にもならないと思う。
それまでの私は国内旅行をあちこちしまくっていたが、当時は超円高で1ドル78円とか言ってた頃だから、国内旅行するより海外の方が断然お得と誰もが言っていたのである。
それは事実だったろうと思う。日本はバブルが弾ける前くらいだったから、国内の物価は何かと高目だった。
目的があった訳ではなく、強いて言うなら、漠然とお釈迦様の生まれた国を見てみたかった。
もちろん事前に私なりに調べてみた。治安は悪いみたいだったし、日本人旅行者はよくカモにされていたようだった。衛生も悪く、日本人が書いたインド旅行記を読むと、著者は誰も彼もがまず、下痢の洗礼を受けねばならなかった。
藤原新也の写真集を見ると、街中を人間の手首を喰わえた野良犬が疾走している瞬間写真があった。
乞食や、訳の分からない物を道端で売っている商人達、牛、羊、豚、ラクダや象が歩いている。なんじゃこりゃの世界である。
今から思うと正気の沙汰ではないのだが、そんな本を読んでいるうちに、私はすっかりインドに取り憑かれてしまっていた。
海外旅行未経験者が、いきなりのインド一人旅は無謀なのだが、でも、私なりに勝算はなくもなかった。
当時のインド人の月収の平均は5000円だと書かれていた。そんな世界なら、当時の最強ジャパンマネーが身を守ってくれるだろうと思った(安易だね)。
ま、インド一人旅と言っても、ニューデリー到着時刻は深夜24時に近いから、初日だけはホテルを予約して、後は行き当たりばったりの計画で、べナラーシへ行き、カルカッタから帰るというルートだけ頭に思い描いていた。
ニューデリーのホテルは1泊100ドル、8000円くらい。インド人の平均月収を上回る額なのだからそれなりのホテルに違いない。
インドに到着したのは1時間遅れだった。空港で円をルピーに替えたら札束になった。
初日はとにかく安全を最優先して空港のカウンタータクシーを利用した。ホテルの名前と住所をプリントされた紙を示した。
係の人に誘導されてタクシー乗り場に行くと大勢のインド人達が集まっており、係の人が何事か言うと俺が俺がと全員が手を挙げた。皆タクシー運転手なのだろう。
1人の男が指名されて、その男の車に私は乗った。
インドの夜は暗く、風景はなんだか荒廃しているように見えた。
ライフルを持った兵士達や、目を光らせる野生動物達がうろついていた。これぞ正に異国の風景である。
「〇✕✕△…」何事かドライバーが話しかけて来た。ヒンディー語らしいがぜんぜん分からなかった。迂闊だったが、彼は英語が話せないようだった。
凄く嫌な予感がしたが、どうする事も出来ない。
やがて自動車は街中に入ったが、みすぼらしいホテルの前に停った。ホテルの名前を確認したがぜんぜん違う。
私は例のプリントを運転手に見せ、ここへ連れて行けと言ったが取り合ってくれない、こんな所で降ろされては堪らないから尚も要求を続けて居ると、男が2人現れて「どうしたのか」と言うので経緯を話すと、彼らは運転手を叱ってくれた。
彼らは親切そうに振舞って、1人は私の隣に乗り込み、もう1人も運転手の隣に乗り込んで来た。私はあっという間に自動車の中で見知らぬ男3人に囲まれてしまったのである。
しまったと思った時にはもう遅かった。私が予約したホテルがある街は、トラブルがあって危険だから、俺たちがグッドホテルを紹介してやるよ、なんて言って来た。
もう深夜2時くらいだったし、反論して何かされたら恐ろしいので私ももう逆らわなかった。
案内されたホテルはやはりパッとしない所だったが、1泊100ドルだと言う。彼らは部屋の中にまでついてきて、「俺達がガイドをしてあげよう」などと言って来た。
私はフレンドリーに振舞って、「なら朝10時にここへ来て下さい」と言った。彼らは喜んで帰って行った。
部屋の天井には大きなヤモリが這っていた。鉄格子の窓の外には目を光らせた牛がいた。
とにかくシャワーを浴びてベッドで休みたかった。
私は少しだけ寝たが、朝8時30分にはチェックアウトをして、街でオートリキシャー(バイクタクシーみたいなもの)を拾ってニューデリー駅へ向かったのである。
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