アリ ☆108
ソーシャルワーカーの勉強を始めているのだが、
社会福祉の歴史やその変遷、世界の現状を少しずつ把握しているのだけれど、19世紀の頃のイギリスやフランスの社会状況などは『シャーロックホームズ』やディケンズの小説の世界そのままだし、ファーブルの貧しかった少年時代、或いはチャップリンの悲惨だった少年時代を彷彿とさせてくれるのでイメージを簡単に描くことが出来る。
日本の明治から昭和初期にかけての社会情勢も、落語ファンの私としてはイメージし易い。私は6代目三遊亭圓生のファンだが、何故彼のファンになったかと言うと、そのリアリズムではないかと思う。昭和の名人と言えば、8代目桂文楽、5代目古今亭志ん生とこの圓生だが、彼の残した枕(落語の前にする話)や著作には明治の頃からの東京の情景がとても正確に残されている。しかも圓生が生まれたのは1900年なので、それを覚えておくと年表が覚えやすい。
日本において、或いは世界において福祉は段々と発達してくるのだけれども、いつの世も問題は尽きることなく、1つ解決してもすぐに次の問題が現れる。優れた福祉国家が作られたとしても、こんどは流民対策に頭を悩まされたりして、人間の世界はいつも混沌としているのである。
noteの記事を書きながら、自分が昆虫少年だった頃を思い出して、
最近図書館から昆虫関連の本を3冊借りてしまい読んでいるところだ。
地球上で最も繁栄しているのは人間ではなく昆虫かも知れない。人類も繁栄しているようだが、もし某国が暴発して世界戦争でも起こったら、あっさり消滅してしまうかも知れないから盤石ではない。
もし人類が滅亡しても昆虫は素知らぬ顔で繁栄し続けるだろう。
昆虫は概知で約百万種いると言われているが、それは概知の種数であり、知られていない種はその2~5倍も居るだろうと言われている。
今でも毎年数千種もの新種が発見されている状態で、つまり熱帯のジャングルなどでは調査する人も限られていたから、未調査の部分が大きかったという事らしい、
いや、そのような未開の地ではない、この日本に於いてすら、3万数千種の昆虫が知られているが、実際にはその約同数かそれ以上の未知種が残されている…と昆虫学者の丸山宗利も著書で述べているのである。
全ての昆虫の種を見つけ出すなんて不可能なのかも知れない。昆虫に興味を持つ私ですら、そういう事に全人類の労力を注ぎ込むのは無駄ではないかと思ってしまう、やはりそんなのは昆虫好きな1部の学者や好事家達が頑張る程度で十分だろう。
でも、昆虫の世界は面白い。
例えばアリは、ある意味食物連鎖の頂点なのだが、その社会構造だけでも見ていて面白い。女王アリ、雄アリ、働きアリ、それらに共生したり寄生する沢山の生物達、それらはだんだんと解明されて来ているが、
アリの世界では働き者のアリだけが存在するのではない、必ず怠け者も存在するし、
当たり前のようにアリと共生したり寄生する他の虫達も、時にはアリの幼虫に擬態したりして働きアリに世話をされたり、アリの幼虫を食べたりして暮らしている種もいるのである。
しかし、彼らは何も悪いことをしているのではない、ただ、当たり前に生きているだけである。
或いは、アリの巣自体が働きアリごと他のアリに奪われて、そのまま支配されてしまったり、そのような事が現実に起こっていて、アリの社会も混沌としているのだが、それでもやはり彼らの社会はそうして成り立っているのである。
世界とは、混沌としているのが常態であるのかも知れない。