ジルの体験 ☆139
最初にジル・ボルト・テイラーの事を知ったのは、養老孟司の本からだったと思う。
彼女は優秀な神経解剖学の学者であり、スキゾフレニアの兄を持ち、脳の研究をする日々を送っていたが、1996年12月10日、突然脳卒中になり倒れてしまう、彼女が37歳の時であった。
左脳の血管が破れ、その機能はだんだんと失われて行くのが彼女には分かった。右半身が麻痺し、言葉を失い、思考力も低下してくる、そのうち右半身は不随になってしまう。
脳科学者ジルボルトテイラー博士の右脳ワールド
助けを呼ぶために電話をしようとするが職場の番号が思い出せない。電話番号が書かれているカードを探し当てても、文字が読めなくなっている。
それよりも何だか気持ちが良い。自分の身体と外部、つまり全世界との境界が失われていき、自分と世界との垣根がなくなり、世界との一体感に満たされ、幸福に包まれるのである。
恍惚に落ちそうになる時、まだかろうじて生きている左脳が警告してくる「何をしている!トラブルだろう、助けを呼べ!!」ハッと我にかえって意味不明の記号と化したカードと電話のナンバーを見比べて、1時間くらいかけて(彼女は何度も恍惚感に襲われて、その度左脳の警告で我に返るの繰返しで作業は中断させられた)やっと職場に電話をかけたが、
よく知る同僚の声は犬のなき声にしか聞き取れず、助けを乞う自分の声もまた「わう、わう、わう・・」としかならないのであった。
ジルは、結局何とかして助けられ、外科手術もし、8年後復活するのである。
人類は脳の研究のためにあらゆる無茶な実験を繰返した歴史を持つが、脳の研究をしている科学者自身が左脳の機能停止を体験し、尚且つ復活した事例はなく、彼女ほど見事にその経過を語れた者は居なかった、だからこの体験は非常に貴重、ある意味奇跡のような出来事だと言えよう。
ジルはこの体験を元に本を書き、講演もした、彼女は2008年、タイム誌による「世界で最も影響力のある100人」に選ばれている。
彼女の体験談はとても面白く、もはや彼女だけのものではない、ここからいろいろな事を推測する事が出来るし、実際にいろいろな仮説を立てる人がいる。養老孟司の本で読んで以来、あちこちで彼女の事を話題にしているのに遭遇した。
私は脳やスキゾフレニアについて興味を持っていて、何度か記事にもしてきた。私の母は晩年レビー小体型認知症になってしまったし、最晩年は脳梗塞にもなってしまったから、私だってそのようになる可能性はあると考える。身体には気を使っているが、あすの朝起きたらそうなっている可能性は常にあるだろう。
ジルが体験した幸福感、恍惚感に浸った世界を、彼女は「ララ・ランド」と名付けている。
「ララ・ランド」では彼女を束縛するすべての悩みから解放されるらしい、
つまり、この世の悩み、面倒臭い様々な問題は、何もかも左脳が創り出しているのだろうか?左脳は悪者??
ジル・ボルト・テイラーの貴重な体験を元にして、本当にいろいろな説を吹聴している人が沢山いるけれど、中には眉唾なものもあるから気をつけた方が良いかも知れない。
まず、彼女の体験については、これ自体を疑うと話は詰まらなくなるので、これはまるまる信用するとして、
「ララ・ランド」体験がどうして起こったのかは、左脳の機能停止により論理的思考力が失われ、あらゆる悩みから解放されたのと、自己と世界との境界が消えて一体感が実感出来たからかも知れないが、
他の人も左脳をやられて同じ体験が出来るかどうかは保証出来ないと思う。
左脳が停止する事によって、残った右脳が緊急事態によりフル回転する。それによりドーパミンやセロトニンも大量放出したのではないだろか?もちろんアドレナリンもドバっと出た可能性がある。それだけでかなりの幸福感を感じ得るのではないだろうか?
また、彼女は自分が脳卒中を起こしたと自覚した時、「これは何てCOOLな出来事だ」と内心ほくそ笑んだようである、脳科学者だから。
自分が脳卒中らしいと知って、そんなにポジティブに考えられる人が、この世にどれだけいるだろうか?それはハッキリ言って変わり者の類いだと断じても差し支えあるまい。
また、彼女は客観的に観て死に瀕していたのであり、危険な状態であったから、自己超越、死と隣り合わせの状況に置かれたことで、自己を超越したような感覚を味わったのかも知れない。
だから、「ララ・ランド」体験はだいぶ差し引いて考え、警戒すべきではないかと思う。
或いは、彼女は世界との一体感を知り、その素晴らしさをウットリと回想する、それはあたかも仏教における悟りの境地と同じものであって、これこそ梵我一如(ぼんがいちにょ)の状態だと解説している人もいたが、
でも彼女は修行によってその境地に達した訳ではなく、全く自分をコントロール出来ていない、たまたまそうなっちゃっただけなのである、この状態を自らの意思で再現する事は不可能なのだから、悟りとは程遠いものではないかと思うのである。(尤も私は単なる仏教ファンに過ぎないので悟りの境地について分かっているなんて言えないが)
ただ、これは私個人の感想に過ぎないが、彼女の「ララ・ランド」の回想を受けて連想したのは梵我一如というよりも、大日如来の曼荼羅図であった。
大日如来は宇宙そのものなのであり、絶対神のような存在ではなく、曼荼羅を観ればわかるように、宇宙は仏に満ち満ちており、満ち溢れているのである。
そのことに気が付けば、人は幸福感に浸れるのかも知れない。
いろいろ書いたが、私は彼女の体験を批判するつもりは全くない、それどころか、彼女の体験談は面白く、分かりやすく、難しい脳の機能について、右脳と左脳の働きについて大雑把だが把握できたような気がする。
彼女の著書をしっかり読んで、研究してみたく思っているのである。
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