忘れられない、いつまでも ☆74
絨毯の細かい目に溜まった埃のように、たくさんの記憶が溜まりに溜まっている、
というのが、私の抱いている記憶のイメージである。
それらは、普段は忘れているけど、どうかすると、ふと思い出してしまう、とても鮮明に。
先日ここに書いた、中学時代に異性の先輩と相合傘をした話など(『初恋の日 ☆72』)、
他人からしたら、読んでみてもなんのハプニングも起こらないし、変化球もないストレートボールで、
「金返せ!!」「告れや!!」「押し倒さんかい!!」などと野次が飛んでもおかしくないのだが、
書いた当人にとっては、これでも珠玉のように美しい記憶なのである。
その時の記憶では、私はいつまでも中学生のままだし、たった1つ歳上の先輩が、すごく大人びて見えているのだ。
私が21歳か22歳の時、映画『マルサの女』が公開された。たまたまその日は「成人の日」に重なったのだろう、
伊丹十三監督が1人で舞台挨拶に現れて、作品については一切触れず、唐突に新成人に向けたスピーチみたいな話をし出した。
偶然、私は新成人に近い歳だったが、劇場(シアターアプル)の観客達の年齢は当然まちまちなのである。そんな話は誰もリクエストしていない、
たぶん観客は、ふつうに映画撮影のエピソードを聴きたかったのではないかと思うのだが、伊丹十三は忖度なく、したい話をする人なのだろう。
伊丹十三は、映画監督の伊丹万作の息子である。
万作の家には多種多様な人々が頻繁に出入りしたが、ある日、学生服を着た数人の青年達がやって来た。
十三は彼等を初めて見たが、母は彼らに大層なご馳走を振舞ったという。
当時は戦争真っ只中、戦局は悪い方へ悪い方へと傾いて、如何に万作の家でも贅沢な物は口に入らなかったのに、たぶん伊丹家では、精一杯のもてなしをしたのである。
十三は訳が分からぬまま、彼らのお相伴をし、しばらくは一緒に遊び、やがて彼らは礼を述べ、爽やかに帰って行ったという、
後で分かった事だが、その青年達は
神風特別攻撃隊のパイロット達だったそうで、
出陣前にせめてもの慰労をしたという事情だった。
まだ幼い十三にとって、その時の青年達はすごく立派で大人びて見えて、自分もいつかは彼等のようになれるのだろうかと思ったけれど、
本当は彼等はかなり若かった筈だし、彼等と同じくらい、自分が大人になる事もなかったのである。
舞台挨拶をする監督は、「自分はいま55歳ですが」当時の青年達を思い出す時、彼らが子供だったとは、到底思えないのです、現在55歳の私の精神年齢よりも、ずっと彼らの方が大人に感じてしまうのです。
と語っていた。
『マルサの女』とは本当に関係のない、そんな話をして、伊丹十三はまたそそくさと何処か別の劇場へ向かったらしかった。
その時、監督の深いシワを私はかなりの至近距離で見ていた。
そして、この思い出話をする私も、いつの間にか、当時の監督の年齢を越えてしまったが、
やはり、監督が私よりも精神年齢が下だと思う事は今後も到底あるまい。
たぶん、私が80歳になったとしても、伊丹十三のイメージは、
いつまでも私よりずっと年上に感じ続けるだろう。