
野原から続く道 ☆75
幼稚園に入園する少し前に、
私は海辺の町から(『原風景 ⑫』に書いてある)引越してしまう。
新しい家が嬉しかったのは、本当に目の前くらいに空き地があった事だろう、広さは家10軒分くらいもあったと思う。
そこには多種多様な雑草が生えており、沢山の虫達が棲息していたが、各種のバッタ、コオロギは幼稚園児の私の恰好の獲物となっていた。
もちろん、モンシロチョウ、モンキチョウは言うに及ばず、アゲハ、クロアゲハ、クワガタや、オニヤンマすら時には飛んで来た。
その空き地を、私は「野原」と呼んでいたが、
野原を突っ切って、更にまっすぐ歩くと、小川が流れており、そこを過ぎると牧場があり、牛乳を生産していた(と言っても小さな小屋で)。
牛の糞にもいろいろな昆虫が集っていた。後に私は『ファーブル昆虫記』の愛読者になるのだが。
小川に入り、闇雲にザルで泥を掬うと、イトヨ(トゲウオ)が入った。しかしトゲウオは、後に天然記念物に指定されてしまう。
野原の方を表側とすれば、その反対、裏側は高校のグランドが何面もあって、空いている時は子供達が勝手に野球して遊んでいた。
しかしそのグランドも、良く見ると小さな穴が無数に開いていて、それはハンミョウの幼虫の巣なのであった。
グランドから少し逸れた所には林があって、クワガタやセミはそこで捕まえた。夏の早朝は毎日そこへ行ったが、よくカッコウが鳴いていた。雉を見た事もあった。
林の中にも細々とした水が流れていて、そこにはトビケラの幼虫が沢山いた。
自分が入る筒状の巣を、枯葉や小石(砂)で美しい工芸品のような家を作るのだが、彼等が澄んだ水の中をゆっくりと動く様は、まるで万華鏡を覗いたように幻想的で、彼らが妖精のように思えた。
これらは本当に家のすぐ近くの話で、自転車に乗るようになれば更に行動範囲は広がり、本格的に魚釣りが出来る川や池もあった。
こんなに恵まれた環境だったが、誰も彼もが私のように昆虫少年になった訳ではない、そう呼べるのは、多分、クラスに1人か2人いるくらいで、大抵の男の子は野球を中心とした遊び方だった。
そうして、私は運が良かったのか?トゲウオが採れたと言ったが、後に天然記念物になったのは、子供が採りすぎたせいでは、ない。
当時、日本中で行き過ぎた護岸工事が始まった。川がすべてコンクリートで固められてしまったから、環境が激変してトゲウオや、他の生き物も絶滅に瀕したのである。
道路も、どんどんアスファルトで固められてしまった。私が小1、2年の頃までは地面はほとんど土だったのだ。
牧場も、小5くらいの時に閉鎖され、後に整備され普通の住宅地になった。
手塚治虫の作品では環境破壊や、自然保護を訴えているものも見られるが、その声虚しく、私の子供の頃に自然は無造作に開発されて、かなり失われてしまうのである。
長々と、私の子供時代の環境を述べてしまったが、これは50年くらい前の記憶だ。
こうして記事を書くようになって、ネタを探さなくてはならないが、
最近身に起こった事を書いても良いのだが、昔の記憶を辿るのがだんだん楽しくなって来た。
脚色はほとんどしていない、起こった事を、なるべくそのまま書いている。
前回の記事では
>絨毯の細かい目に溜まった埃のように、たくさんの記憶が溜まりに溜まっている、
>というのが、私の抱いている記憶のイメージである。
と書いたが、昔の記憶を甦させる作業は、真っ黒に汚れたカーペットの汚れを洗い流し、本来あった綺麗な模様を元に戻すようなものだ。
これは、正しくカタルシスそのものだ。
ガレージに溜め込んだ瓦落多は、埃を払って少し磨けば、意外とまだ使えそうだ。
最近人気のアニメ『ダンジョン飯』では、エルフのマルシルがナイトメア(悪夢)の餌食にされそうになったが、
それを救出するため、ライオスが彼女の夢の中に入って行く。夢の中では人形を抱いた子供の頃のマルシルが途方にくれていた。…
私が昔の記憶を辿る作業は、もしかするとライオスの行為に近いような気がするのである。
村上春樹は、小説を書くのに、「時に地下2階まで降りて行く」と表現しているけれど、
私もガレージで瓦落多を探し続けるうちに、ひょっとしたら、突然地下に通じる扉を発見出来るのではないかしらと思うのである。
それこそこれは、ダンジョンを冒険するのと似た作業ではあるまいか。