届かぬ想い ☆53
自分の気持ちが届かないのは、もどかしい。
でも、黙っていても相手には伝わらないし、ただ単刀直入に伝えても逆効果になることもある。
言葉いがいにも、アプローチの仕方はいろいろあるので、考えてみるのも面白い。
言葉は便利だけれども、言葉で伝えたからといって、実はぜんぜん伝わっていない場合があるものだ。
ちゃんと説明したのに、全く通じてなかった経験は、どなたにもあるのではないか?
分かり易い例なら、外国人の場合。相手が大体の日本語が話せると思って説明し、その人もうん、うんと頷いているから理解したのだなと安心していると、全く分かってない・・・。
でも、こういう現象は外国人でなくても時々起こってしまう。
もちろん、自分の説明が悪かったパターンもあるが、相手の理解力に問題がある場合もある。
学習障害を持つ人は偶にいる。軽重の程度はあるが、この場合、本人には悪意はぜんぜんないのだが、分からないのである。
私は現在、ミルトン・エリクソン(1901年ー1980年79歳)という人の事に興味を持って調べているが、彼は類稀な催眠療法家として知られている精神科医だ。
彼が優れているのは実績が証明していて、「魔法使い」と呼ばれていたくらい凄腕だったのである。
しかしエリクソンは3つも障害を抱えていた。失読症(例えば3とmの区別が出来ない)、失音楽症(音楽が理解出来ない)、色覚異常(赤緑色盲)だが、
かれはこのハンデを逆に利用して、自分の才能や資源の可能性を広げた驚くべき人であった。
頭は良いけれど、3とmが区別出来ない。でも、それが分かった時の感動をずっと覚えていて、他の分からない人に、解り方を伝えられる、常人では発想し得ないアプローチを見つける事が出来きたのである。
今、私はエリクソンに出会えたけれど、
先日、『春爛漫 ㊾』という記事で、毎日登校を共にしたS君の事を書いたが、実は非常に久しぶりに彼の事を思い出した。
彼とは、本当は小学校も同じだったが、ずっと別のクラスだった、目立つ顔だったからなんとなく知ってはいたのだ。
ゴリラみたいなご面相で表情が暗かったと形容したが(それこそ『赤毛のアン』のマシュウ・カスバートを子供にすると近い)、彼も確か小学生のある時期まで学習障害で悩んでいたらしい、小学の高学年から急に勉強が出来るようになったのである。
彼はその後学習院大学に行ったが、手紙をもらった事がある。あまり周りと馴染めなくて悩んでいるようだった。
自分を表現するのが、苦手なタイプだったから、彼も誰にも届かぬ想いに悩まされていたのだろうと思う。
最後に彼も、中学時代の通学路が楽しかったと綴ってあった。
エリクソンについては、面白いのでまた記事にする事もあるだろう。