夢見るFSの未来

私は子供の頃からフィギュアスケートが好きでした。
幼い頃はTVで放送されるのを楽しみにしていました。
小・中学では授業にスケートが組み込まれていました。北海道なので、冬の競技として、スキー・スケートはお約束w
そんな私が夢に見ていたフィギュアスケートを見せてくれるスケーターは長い間現れませんでした。
彗星の如く現れたのが我らが推し「羽生結弦選手」。
技と技の間に切れ間がなく滑らかに美しく、ジャンプもスピンもその他の要素も全てが完璧に表現される氷上の生きた芸術✨
羽生君だけが私の幼い頃からの夢を叶えてくれました。
フィギュアスケートの未来は明るいと思いました。
平昌五輪辺りまでは。
そこから不可解な採点、通称・ライバルと呼ばれる海外や後輩選手との試合の中での理不尽な下げ採点。ジャッジに要する時間を短くとか色々いわれながら、羽生君の採点の時はいつも長考。どこが早いって?
そうして出た採点は必ずケチ付けまくり。他選手なら上げられるのに、羽生君だけはいつも下げられる。依怙贔屓にも程があると思っていました。
そんなこんなで苦しめられた競技フィギュアという汚泥から、美しく大空に羽ばたきprofessionalとして活躍中の我らが羽生君。
数々の偉業を既に幾つも成し遂げられ、まだまだどんな世界を見せてくれるだろうかと、わくわくしかしていない現役プロフィギュアスケーター。
そんな彼の姿と、腐りきり泥船とかしたあの競技団体を見比べて思うのです。

競技自体が生まれ変わるならこうして欲しい、こうなったら最高という理想を呟きました。
それとも、競技はあくまでも基礎を身に付ける場としてのみ用いた後で、完全にアイスショーに特化したスケーターを養成する新団体があってもいいよなあって思うのです。バレエの様に。
最初からプロのアイスショーで演じられるスケーターを育てるのです。
その為には座学もガッチリ必要です。稚拙な技術しか持ち合わせていないスケーターはお呼びじゃない、思考もプロとして叩き上げるのです。
間違ってもアイスショーに高いギャラを貰いながら「いい練習になった」とかほざ…言ってはいけません。何より舞台に穴を開けるとか、演劇等の世界でこんなことやったら一度で干されますよ! そういうスケーターはエンタメのアイスショーでは必要ありません。
観客を喜ばせる、感動させる、そういった思いがまるでなく、自分自身が出演して自分だけが楽しい/楽しくないとか思う様な未熟な思考のスケーターは必要ありません。
社会はそんな甘っちょろいものじゃない。
厳しい世界。そんな生温い意識でのほほんとしていられる人は淘汰されます。本来ならば。(これから先の展開を静観します)

先日、相互のMさんが呟いておられました。
(ⒸM/いつもありがとうございます)

「海底の泥の中の深海魚」
言い得て妙だと思いましたw
羽生君の理想は羽生君自身で現実のものとしてくれました。
彼の様な存在は、これから一千年は現れることはありません。断言します。
でも、せめて彼の1/10、1/100でもいいから、どこかを継承したスケーターが存在して、そういう人達がプロフェッショナルなショーオンリーのスケーターとしてあってくれてもいいよなあ…って、夢見てしまうのです。
限りなく難度の高い、儚い夢ではありますが。