尊い

羽生君が自ら「親友」と称する人が知る限り二人は存在します。
一人は清塚信也氏。もう一人は宮川大聖氏。
二人とも出会いはFaOIでした。
そこで羽生君の真摯な姿にお二人は胸を打たれ、羽生君はお二人のお人柄はもとより、生み出す楽曲へのリスペクトを始めとして共感を覚えながら進行を深めて行き「親友」と呼べる迄の仲になられたのですね…感慨深い(ジーン)
音楽に造詣が深いお二人とは言っても方向性は全く違う。それでも共通する処は必ずあって、その共通項から派生する様々分岐する物事への思考諸々が魂を震わせるのかなあ…と想像しています。

これを読んでいる貴方に「親友」と呼べる方はおられますか?
私には学生時代からの仲で現在に至るまで付き合いのある友がいます。
彼女達をこそ多分「親友」と呼ぶに相応しい相手だと思うのです。

でもね?
欲深いのかもしれないけれど、私は同担推しの方と「親友」という間柄になれたらいいな、という憧れを捨てきれないでいます。

今回のnoteはちょっと自分語りになりそうです(思い付きで綴っていることがバレバレw)。宜しければお付き合いください。

私がTwitterを始めたきっかけは特に何も目標や推しがいる頃でもなく、なんとなく知人が「Twitterは怖くないよ」の一言でアカウント開設までしました。初期の頃は自分と波長があう人をフォローさせて頂き自分もそういう呟きだけをしている雑多垢で。そこから慣れていく間に羽生君の情報を求めるようになり、同担の方をフォローするようになり、相互さんが出来、そこから理不尽な事があれやこれやがあり、その修羅場を抜けてその当時の経験値を持ったまま、ある種人間関係を割り切り、悟った上で推しの情報を求めたり、意見したり、萌えを吐き出したりする事のみの特化した、言うなれば悟りを開いた()垢を運営しているのが現在の姿。

振り返ればその時々で「親友になってほしい候補」の方が数名おられました。…でも彼女達は自分よりも彼女達同士の方が距離的にも近く思考的にも馬が合う事があって、どちらかといえば、私は疎外感を感じるようになっています。仕方のない事です。

けどそれでもやっぱり今も「親友候補」を探している自分がいます。
己の心の弱さだなあと思いながら。
忌憚のない会話をTwitterやDMで行ったり、様々な案件の話で相談に乗ったり乗られたりしながら心の距離は近づくものだと私は思っていて。
一時そういう時期があった彼女達には、だから錯覚してしまっていたりするけれども、彼女達の発言の端々から「私は親友じゃなく、何となく時々波長がある近しげな知人に過ぎないのだな」とどうしたって思わされるのです。

口約束をし、どれだけ多忙を極めても必ずその約束を果たすとか…そういう事が出来る人を「親友」と言ってもいいのかなあ…と思ったり。
(私は同担に「親友」と呼べる人が存在していないのでこの辺りは曖昧です)

但し、私には尊敬する方は数名おられます。
その様な方々に対して「親友」だなんておこがましくて言える筈がないし、一度その二字熟語を相手に話したとして…ドン引きされたら…と思うと言えません。
たかが二文字、されど二文字。

「親友」と呼ぶに相応しい条件ってあるのでしょうか…。

自分語りの様で(実際そうだけど)すが、羽生君にはこの先にも彼が頬を緩ませて「惚気たい」と言わしめられる様な「親友」の存在が今後も増えていけばいいなと思っています。
親友だけでなく、心底魂の共感を覚える最愛の人との出逢いも…。
誰よりも誰よりもしあわせになって欲しいとアマ時代から思っているから。