雑記。RE_PRAY に寄せて
これまでとこれからの記事で触れられるかどうか分からない、いま言葉にしておかなければ忘れてしまいそうな事を思いつくまま記録しておきます。
【 RE_PRAY たまアリの「阿修羅ちゃん」】
会場でご覧になった多くの方々には、SOIでの阿修羅ちゃんのイメージそのままの印象を RE_PRAY の阿修羅ちゃんに投影して「キャーキャー」言っていたように思うのですが…
私だけでしょうか。他の誰も言及されているのを見た事がありません。
私はたまアリの「阿修羅ちゃん」は怖かったです。今までの演技で見た事のない恐ろしさを感じました。今見ても怖い。
それを一番象徴していた箇所があります。
リピートの「どーどー閻魔様さえ喰らって」と最後の「頭を垂れないで」の処です。
喰らうジェスチャーではなく、ここ二か所だけ、このたまアリ二日目の時だけ「合掌🙏」してるんです。
絶対意味がある筈なんです。だから可能なら知りたい。どうしてこの時だけ振り付けを変えたのか。
ずっとずっと思っています。けど、普段は忘れていて、今書いておかなければ鳥頭の私はまた忘れてしまう筈なので書きましたw
振り付けとしての大きな変化はこの箇所位だと思いますが、「阿修羅ちゃん」というプロ全体を通しても、たまアリの時だけは本当に殺気が漲るといいますかー彼の中に内包している怒りが噴出した演技に見えるーそういう時期だったと勝手に想像してしまう自分がいてしまうからこそ真実が知りたいのでした。
でも…多分教えてはてくれないだろうとも思ってます。
その時々で振りを変えていると言われてしまえばそれまでですし、負の思いを羽生君は絶対口にしませんから。
でもでも本当は知りたいのです…。
【 水 】
羽生君のICE STORYで鍵となるWordがあります。
ズバリ「水」
GIFTでもRE_PRAYでも登場した鍵となる重要な存在。
この水、私はいつも羊水を連想してしまいます。母の胎にいる状態を連想するのです。
冷たくて、でも温かい…?
水が教えてくれる。暗くても自由な世界。暗いからこそ自由な世界。
もしあるとしたら、それはまだ世に生まれ出る前の、胎内にある赤子のころを指すのではないだろうか。そんな風に思います。
母の中で守られ眠る赤子。水の中で自由に夢を見、そこに束縛するものはなにもない。
「故郷の存在は、母の胎にいるようだ」と被災地で言われたことがありましたよね。羽生君が被災地を訪った際に耳にしたこの言葉がベースにあって、羽生君の中に強く印象づいた言葉だったんだろうなあ。多分、自分の中の故郷への思いが共感したのではないかしら。
それくらい強く故郷の仙台を愛する羽生君。だからこそ、これからも大切にしてほしいです。
彼の様にどこまでも無条件に、自分を擲つように「故郷の為なら」と奉仕してくれる人は滅多にいません。
故郷にしか出来ないことがあります。彼を守ることが出来るのは、故郷以外では無理だと思うのです。
【 アクアの旅路 】
RE_PRAY に向け作られた二つのプロのうちのひとつ。
私の📒をご覧下さってる奇特な方におかれましては、ほぼほぼ私の憶測からの話ばかりであることはご理解いただけてると思うのですが、例外なくこれもそんな話です。
私は RE_PRAY の世界観を想定して作ったプロは当初「Goliath」だけだと思っていて、「アクアの旅路」は後に追加されたものだと考えています。
RE_PRAY は世界が一部と二部で大きく変わります。
「Goliath」が一部とすれば「アクア」が二部に該当するのは間違いない。
唯、 RE_PRAY における〈祈り〉と「アクア」での〈祈り〉の内容、意味合いは違うと感じ続けています。「アクア」の〈祈り〉。これは愛する人の幸せを想うが故の祈りだと。アクアを演じる中で沢山藻掻いて苦しんでる様子があります。絶望の淵に堕とされた様子も。そこから最後に〈祈る〉。
将にあの時期でしたし、羽生君が自分自身の心(想い)の開放を演技に託したものだという解釈しか私には出来ず、長い事あの演技を観てはボロボロ泣いていました。最近になって漸く泣かずに観る事が出来るようになったのです。
(Twitter/✖で二つの作品についての感想を書いた、アクアの感想だけ引用。この時「祈りだよね」と書いたのはそういう意味合いでした)
一般公開されたこの二作で「アクア」だけがメンシプ用に新たに収録・公開されています。演技は一つのカメラだけで収録され、編集も最低限のこちらでの〈祈り〉は印象が大きく違います。
寧ろこちらの方が RE_PRAY の世界観に合わせた作品になっている様に思えるのです。
***
羽生君の演技は一期一会。
感情の発露、想いの発露、言葉には出来ない想いの発露。
誰も傷つけない手段で彼はいつも観る者に訴え続ける。
その演技の中に籠めた想いは一度開放してしまえば多くは昇華されてしまうものかもしれない。ずっと残り続けるものもあるにせよ、私は彼を生涯応援すると決めているので、決して目を逸らしてはいけないなと改めて思うのです。