フィギュアスケートの“良心”

2025年1月30日アメリカの元フィギュアスケーター、ディック・バトン氏が老衰でお亡くなりになりました。享年95。
1948年サンモリッツ、1952年オスロ五輪で連覇を達成された氏の後、二連覇したのが我らが羽生結弦選手。その間66年もの沈黙がありました。

英語の記事なので、英語に堪能な方はどうぞ。
自動翻訳でぼんやり内容を把握した程度の私ですが、本当にフィギュアスケートを愛しておられた方だと思います。歪んだフィギュアスケートに対して毒舌と言われる程に強い言葉で迷うことなく正しさを訴える意味でも真っ直ぐな批評を続けて来られたのでしょう。それが分かっているから氏を表する言葉として使われるのが「フィギュアスケートの“良心”」なのですね。

上記ツイに羽生君が引用する形でコメントしています。
羽生君が引用コメをしたのは夜になってからなので、恐らくそのニュースを知ったのもその頃なのかな…と想像。日中はアレコレ多忙でしょうからね。

余談ですけど、羽生君の追悼コメに対して、懲りずにアンチがイチャモンつけたそうですね。いい加減にしろよ。最下層の地底人が幾ら何を言ったって響くどころか返り討ちに遭うだけなんだって、永遠に学ばない人種なんですね。…哀れ。

2019年1月19日、阿部さんが制作されたNHKの『アナザーストーリーズー運命の分岐点ー』この番組でバトン爺をしかと拝見出来ました。
正統なフィギュアスケートの、羽生君の良き理解者であられました。
羽生君について語られた一つ一つの言葉があの時から現在に至るまで、ファンの私達――きっと羽生君自身にも――支えのひとつであるのです。

――私の評価基準は、演技が劇場になっているか? 独創的で、お客を呼べる劇場にね。羽生結弦の演技はそういう意味では最高だ。みんなをうっとりさせる、満員御礼まちがいなしだ――

――ユヅルはどこかで見たような演技はしない。今見逃すと、2度と観られないような演技。それだけが価値があるんだ。どんなに難しい技だろうがその選手独自の表現になっていなくては。みんな似たようなジャンプでは点数だけで、感動はない――

平昌五輪でのSEIMEIを視聴し終えたバトン爺の言葉。

――この大舞台で見せうる最高の劇場を魅せてくれたと思うよ。これぞ金を超えて、ダイヤモンド級の演技だね――

「ダイヤモンド級の演技」羽生君の演技をそう評してくれました。
そして…

羽生君に対する外野の無神経で無責任な評をご存知だったのか、インタ時にお話しされたからなのか仰った。
「もう彼は別格なのだから好きなようにやらせてあげなさい」
これ以上に涙腺崩壊する言葉はありませんでした。

自由に羽ばたかせてあげなさい――自由になっていいんだよ――

バトン爺はきっと羽生君の活躍をアマ時代はずっと見守って下さってたと思います。それはソチの頃から。

懐かしのソチ五輪での男子フィギュアSPの解説をした時の動画がニコニコにまだあると教えて下さった方がおられました。その方のツイは控えまして、ニコ動の動画を貼ります。
羽生君に関しては6分過ぎから。色々楽しい(至って真面目な)動画です。

フィギュアスケートの“良心”ディック・バトン。
日本の解説者の様に、どこかの誰かの顔を伺いながら微妙な解説もどきを一切されず、良し悪しをズバズバと発言して来られたので毒舌家と評される氏。けれど、二連覇された方だからこそ、正しい技術とそれによるスケートが〈劇場〉と化す演技が可能だと分かっておられた。
そして羽生君にはそれだけではなく、彼は他の誰とも違う。金(メダル)を超えた宝石〈ダイヤモンド〉だと。バトン爺のお眼鏡に叶ったフィギュアスケーターは唯一、羽生結弦選手その人だけ。

競技フィギュアは相変わらず迷走状態。
故に、羽生君の後に続く者は、例え解説者が異口同音にそう述べる選手が現れたとしても、果たしてバトン爺が認めるかどうか。天上のバトン爺がどう評価するのか。ちょっと想像するとおかしな気持ちになります。

『Echoes of Life』千秋楽が目前。
バトン爺。
羽生君の描く世界を、リンクを舞台にした〈劇場〉を、天国から見守っていてくださいね❣