巻27第4話 冷泉院東洞院僧都殿霊語 第四


今昔、冷泉院よりは南、東の洞院より東の角は、僧都殿と云ふ極たる悪き所也。然れば、打解て人住む事無かりけり。

而るに、其の冷泉院よりは只北は、左大弁の宰相源の扶義と云ける人の家也。其の左大弁の宰相の舅は、讃岐の守源の是輔と云ける人也。

其れに、其の家にて見ければ、向の僧都殿の戌亥の角には、大きに高き榎の木有けり。彼(あ)れは誰そ時に成れば、寝殿の前より赤き単衣の飛て、彼の戌亥の榎の木の方様に飛て行て、木の末になむ登ける。

然れば、人、此れを見て恐(おぢ)て当りへも寄らざりけるに、彼の讃岐守の家に宿直(とのゐ)しける兵也ける男の、此の単の飛行くを見て、「己はしも、彼の単衣をば射落してむかし」と云ければ、此れを聞く者共、「更に否(え)射じ」と諍をして、彼の男を励まし云ければ、男、「必ず射む」と諍ひて、夕暮方に彼の僧都殿に行て、南面なる簀子に和(やは)ら上て待居たりける程に、東の方に竹の少し生たりける中より、此の赤単、例の様にはへ飛て渡けるを、男、雁胯を弓に番て、強く引て射たりければ、「単衣の中を射貫くと」思けるに、単衣は箭立乍ら、同様に榎の木の末に登りにけり。其の箭の当りぬと見る所の土を見ければ、血多く泛(こぼれ)たりけり。

男は本の讃岐の守の家に返て、諍つる者共に会て、此の由を語ければ、諍ふ者共、極く恐けり。其の兵は、其の夜、寝死になむ死にける。然れば、此の諍ふ者共より始めて此れを聞く人、皆、「益無き態して死ぬる者かな」となむ云ひ謗ける。

実に人は命に増す物は無きに、由無く「猛き心を見えむ」とて死ぬる、極て益無き事也となむ語り伝へたるとや。
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さてさて
まずは場所の確認だが、冷泉小路は現在の夷川通になるので、東洞院夷川であるから、現在の京都御苑の南側である。平安時代は貴族の屋敷が立ち並ぶところであったろうから、とんでもないところに心霊スポットがあったということだ。第一話も三条東洞院であるから、当時は高級住宅街の中に事故物件が散在してたということである。まあ百鬼夜行で都大路を、妖怪たちが闊歩してた訳で、怪異なものは貴賤を問わず平等であったということで何やら少しホッとする気もする。
 さて、この物語で興味深いのは、地面の血、と言うところである。霊なら血は出ないだろうから、これは狐が化けたものかと、あえて想像力を逞しくして言わしてもらいたい。
 であれば矢の射手がその夜死んだのは、いたずら心に赤衣に化けて遊んでいた我が子を殺された母ギツネの仕返しの業と考えてもいいのではないか?なんて考えてしまう。
 この死んだ武士さんは気の毒だが、怪異なる現象を目撃した時に、そこに潜んでいるやもしれぬ一連のストーリーを逞しく想像する心が有ればこのような悲惨な結果にならなかったかもしれない。
 全て、現代においても、見かけの怪しさにだけ目をとらわれることなく、想像力豊かに、怪しの裏に潜んでいる“もの”の“心”を注察出来る余裕を持ちたい、なんてことを思った第四章でしたえ

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