カラスのヤータン
今昔物語27巻の怪異談を私の視点から自己流に再考したいと思います。よろしく。
精神科領域で日々感じたことを書き留めて行きたいと思います。
今までに書き溜めた詩と、新たに創作した詩と、作成日時順不同に掲載します
またまたご無沙汰してしまった。 以前に書いた小説を全面的に書き直していたのだが、そのため他のことに手が回らなかったというわけでご容赦を。 是非ご一読くださいね。 掲載サイト 小説家になろう 作者 中川聖茗 題名 命の水の満つる夜に でーす 連載になってます。それでは。
小説投稿サイト「小説家になろう」に小説「集まれ妖怪の森クリニック」の掲載を始めました。連載小説の形態を取ています。 是非ご一読ください。 https://ncode.syosetu.com/n8750hw/
今昔、冷泉院よりは南、東の洞院より東の角は、僧都殿と云ふ極たる悪き所也。然れば、打解て人住む事無かりけり。 而るに、其の冷泉院よりは只北は、左大弁の宰相源の扶義と云ける人の家也。其の左大弁の宰相の舅は、讃岐の守源の是輔と云ける人也。 其れに、其の家にて見ければ、向の僧都殿の戌亥の角には、大きに高き榎の木有けり。彼(あ)れは誰そ時に成れば、寝殿の前より赤き単衣の飛て、彼の戌亥の榎の木の方様に飛て行て、木の末になむ登ける。 然れば、人、此れを見て恐(おぢ)て当りへも寄らざり
僕には依存、中毒とまではいかないが、発作的にある行動を取る習性がある。一つは王将、これは大阪王将ではなく餃子の王将であるが、へと出かけ、カウンター(これはテーブルではダメでカウンター、しかも一人で行かねばならない)に腰かけ、餃子二人前と瓶ビール一本を頼み(決して他の物を頼んではいけない)ただ一人もくもくと飲んで食べて、幸福感を満喫することである。もっともこれは一回実行するともうしばらくは王将の看板を見るのも嫌になるのだが、しかし不思議なことに2ー3ヶ月するとまた行きたくなるの
ご無沙汰してしまった。実は小説家になろうに投稿していた小説の手直しをしていたのだ。 十年も前に書いた小説で、実はその頃いろいろとあって、ストレス解消を兼ねて書きなぐった面もあり、とても堂々と世に出せるものではないと思っていたが、ある人から、是非手を加えて世に出すべきだ、と言われ、なぜかその気になって、つい先日まで加筆修正に明け暮れていたのだ。 小説家になろうのホームページから、阿弥陀仏よ何処に、で検索していただければすぐに作品ページにいくはずです。ペンネームが古いソンミ
クリエーター名を変えることにした。 それは、とある理由で、ソンミンの姓名判断をしてもらったら、何とその答えが「最悪、最凶」だったからだ。 無論あまりそういうことを気にしない僕ではあったが、まあそれも悪くないか、と急に軽いノリになって、考えて考えた挙句、結果はカラスのヤータンとなった。カラスのヤッターマンでも良かったが、悪ノリはいかん、と自らを戒め、この名前で決めた。 僕がカラスに特別思い入れがあるのは、僕が中学生だった時の、とある出来事に遡る。 ある日道を歩いていると僕は
今昔、桃園と云は、今の世尊寺也。本は寺にも無くて有ける時に、西の宮の左の大臣1)なむ住み給ける。 其の時に、寝殿の辰巳の母屋の柱に、木の節の穴開たりけり。夜に成れば、其の木の節の穴より、小さき児の手を差出て人を招く事なむ有ける。 大臣、此れを聞給て、糸奇異(あさまし)く怪び驚て、其の穴の上に経を結付奉たりけれども、尚招ければ、仏を懸奉たりけれども、招く事尚止まざりけり。此く様々すれども、敢て止まらず。二夜三夜を隔て、夜半許に人の皆寝ぬる程に、必ず招く也けり。 而る間、或
今昔、川原の院1)は融の左大臣の造て住給ける家也。陸奥国の塩竈の形を造て、潮の水を汲入て、池に湛(たた)へたりけり。様々に微妙く可咲き事の限を造て住給けるを、其の大臣失て後は、其の子孫にて有ける人の宇陀の院2)に奉たりける也。 然れば、宇陀の院、其の川原の院に住せ給ける時に、醍醐の天皇は御子に御せば、度々行幸有て微妙かりけり。 然て、院の住せ給ける時に、夜半許に、西の台の塗籠を開て、人のそよめきて参る気色の有ければ、院、見遣せ給けるに、日の装束直(ただ)しくしたる人の、太
今昔、此の三条よりは北、東の洞院よりは東の角は、鬼殿と云ふ所也。其の所に霊有けり。 其の霊は、昔し未だ此の京に京移も無かりける時、其の三条東の洞院の鬼殿の跡に、大なる松の木有けり。其の辺を男(をのこ)の馬に乗りて、胡録負て行(ある)き過ける程に、俄に雷電霹靂して、雨痛く降ければ、其の男、否(え)過ぎずして、馬より下て、自ら馬を引へて、其の松の木の本に居たりける程に、雷落懸りて、其の男をも馬をも蹴割(けさき)殺してけり。然て、其の男、やがて霊に成にけり。 其の後、京移有て、
さあ俺は何機のグラマンを撃墜したか とおじいちゃんは言う スレ違いざまには敵さんと コックピットのガラス窓越しに 互いに手を振り挨拶を交わしたものさ だって、すぐにどちらかが 海に消える運命なんだ 別れの挨拶さ…… でも俺には才能があったんだ とおじいちゃんは続ける 敵機を見ただけでそいつが 上下左右どこへ向かうのか分かったのさ 百発百中さ、だからこうして生き残ったんだが…… そう締めくくったおじいちゃんは 笑顔から一転 溜息をつくと とても悲しそうな横顔を 最後に私に見せた
先日精神科のWEB講演会があり、発達障害の治療について有益な情報を得ることができた。 ただ一つ気になることがあった。 それはある中学生の症例の報告で、治療に関してその中学生のお母さんが、「先生、朝薬を飲むと、日中学校ではいいが、夜の塾の時間に集中力が切れてしまいます。なんとかしてほしい」と言ってきたというのである。 演者の先生は、薬の調節でこれに応えたというが…。 僕は講演を見終わった後に考え込んでしまった。 これは果たして医療だろうか?中学生が苦しんでいるからやむを得ないで
遠心分離器に己を放り込んで 回して上澄みを捨てる きっと人生はその繰り返し でなきゃ生きられないって 誰からともなく教えられた その上澄みにも自分の大切な一部が 紛れ込んでいるんだって 気が付いた時には 人生は終わっているなんて…… 遠心分離機なんか必要ない 自分があるがままに 自分のままに生きられる世界を 探そうよ 作ろうよ だから、さあ みんな遠心分離機から 思い切って抜け出すんだ 今からでもきっと遅くはないって そして 打ち捨てられた自分を取り戻しに 皆で旅立とう
さて、友人から勧められるままに、何となくプロフィール設定までは済んだが、この先どう展開して行っていいものかが見当がつかない。 思えば、しかし今までの人生もそうだった。人から勧められるままに、なんとなく生きてきたというのが正解かもしれない。 今は自分に正直に、己が心の命ずるままに生きていきたいと思う。 心の叫びを正直にありのままに吐露出来るスペースとなれば、と思う。 暖かく見守って頂ければ幸いです。