術後1年とこれからの事(妊娠)Part1
ここ最近Twitterに
なかなか浮上しなくなったのは
色々なことを知るのが怖かったから。
良い情報ばかりなら嬉しいけど
そうじゃない情報を聞くと
落ち込んでしまうから
Twitterを見てませんでした。
そんな私も先日、術後1年が過ぎました。
ここ数日メンタルがブレていて
閉所暗所恐怖症もカナリ酷く
会社でも強迫観念みたいなので
パニックになりそうに何度もなった。
多分この症状は
【検査】が
あることに対しての不安なんだろうな。
って今は思う。
病気のことを忘れたことがないくらい
いっつも毎日不安。
癌を忘れたら難病の事を思う。
この2重苦は本当にキツイ🥲
・病気の事を考えるから病気になる。
・楽観的でいたら治る。
・治ったから今は前と一緒だ。
とか前向きな言葉を並べたり
・病は気から
とか思っても
そもそもそれなら私は病気なんかになってない。
といっつも思う。
病気になってからは
家族から
「もっと自分の好きな事をしたらいい」
と言われ
その為にお金を使うようになった。
服や髪の毛だけじゃなく
大好きな旅行にもお金を使ってる。
今までだったら我慢してたのに
「人生1回」
と思い何でもない日も記念日みたいに豪勢にしてる。
だから凄く楽しい。
けど、またここでふいに真面目な私が出る。
『こんなにお金使って未来の子供や自分の老後の為に残さないの?』
ってなる。
そしたら私はまたガムシャラに働いてしまう。
それで、また心が疲れて次は
『癌が落ち着いたとしたら
妊活してその間、
薬を断つのは不安じゃない?
難病のせいで
出血量が多くて子供産むの危険じゃない?
そもそも老後とかあるの?』
とか思ってしまう。
こんなことを考えると
子供じたい諦めるべきなのかな?
‥なんて思う。
家族の支えとかもあって
犬を飼おう。
と決意したけれど
『この子が一生を終えるまで
私はそばにいてあげられるのか?
寂しい思いをさせないか。』
と言うところで
どうしてもモヤっとした感情が残ってしまい
結局犬も飼えなかった。
「なんとかなる。」
とか曖昧な言葉は
昔から大嫌いなので
私は
「絶対あたしがなんとかする」
っていう思考だからこそ
動物の命にも、かなり重く向き合ってしまう。
犬を飼おうと思ったのは
ある一種の願掛けから始まったけど
私はこの[飼う]
という決断をしなければならない。
と強く思った。
今、犬を飼う決意をもてなかったら
妊よう性の卵を身体に戻すことも
躊躇ってしまいそうで
犬を飼えば
長生きをする!!
って覚悟が決めれるから
そうしたら妊よう性の躊躇もなくなると思う!
‥という考えだったけど
自分が駄目な考え方をしてるようで
さらに落ち込んでしまった🥲
私は難病のせいでTS-1は出来なかったし
この先万が一再発とかがあったら
血小板が少ないと抗がん剤はできないから
どうなるんだろう。
…と不安になる。
弱気になったらだめと思ってるし
考えても意味がないと頭では分かっているけど
いっつもいっつも考えてしまう。
貯蓄していくべきか
今を楽しく生きるべきか
長生きは出来るのか
子供は持つべきなのか。
なんか考えても考えても
答えは出ないなぁ。
つづく
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