エッセイの落とし穴
本と言うか、ストーリーを決めてて最初から一貫しているのが常の小説はまだいいけどさ、エッセイと言うか論文調の本📕は信用なんねえ部分があるかなあと思ってる。
まず、
・何日間かに渡って書くことによって、昨日の自分と違う自分になる(昨日まで書こうとしていたことが今日書こうとしていることと違くなる可能性がある)
まあ、いつ書いてるか分からない論文の内容なんてさ、分からない例とか分かりづらい例とか見せられる時に思うのが、「これ、トイレで書きましたか?🚽」ってこと笑笑🤩寝ている前に書いてるかもしれないし、本当にそう思って書いたの?ってことも長い目で見ると所々に入ってることが多い。
小説だったらさ、むしろトイレで書いてる内容がおもろかった、なんてことはあるから別に良いけどさ、エッセイはなるべく真実味を浴びせなアカンわけでお酒に酔った脳みそ🧠で書いて欲しくないわけ。
そして、
・書いてる内容が稀に矛盾していること
まじで、たまにあるんだけど、それって前に書いたことと実質矛盾してね?って時があるだから、それもその日のうちに全部書けば良いんだけど、その日、その日の調子で書いてる内容の質が落ちるのはエッセイの怖いところかな😱(だからこそ、こっちの読む側がちゃんと吟味しながら読まなくちゃならない、鵜呑みはならない。)
小説だと、ぶっちゃけヒットを撃ち続けるのもだけど、たまにホームラン打つってだけでも長続きするからな😊
さらに、
・ノルマがあるか知らないが、余計な例などなどを入れすぎることによって、かえって分かりづらくなっている
俺の読解力がないからなのかもしれないけど、余計な自分の好きな話をたくさん入れて来ている気がする。これは、本のページ数のノルマがあって、それを達成しないと本を販売できないからなのかは知らんが、分かりにくい例ってのがたんまりとある時がある。それをさらに、難しい言葉で、一生他の誰も使わないような専門用語で締めくくることも。もっと、本薄くても良いのではないか?って
それに続く内容だけど、
・国語の問題では要約させるくせに、なぜ初めから要約したままの文章を提示しない?
まあ、具体例を出しながらの方がみんなの頭の中でイメージしやすいってのは分かるけど、国語の問題で要約させるっちゅうんやったら、何でそもそも初めから要点のみをまとめた書き方をしない?そうすれば、ページ数も減って読みやすいし、みんな分かりやすい気がするんやけど?