【一荤一素】
好きな中国の歌手がいます。
毛不易という名前です。
もちろん彼のどの歌も気に入っていますが、
その中でも、特に好きなのは「一荤一素」という歌です。
私はその歌詞を、以下のように解釈しました。
どこにでもあるようなおうちの中で、
お母さんが晩ごはんを作っています。
その姿はテキパキと動きながら、どこかに余裕を感じ、
世界に、時間にぬくもりを織り出しています。
まだまだ若いその子供は、家にいても満足しません。
彼は遠くへ行きたがって、頑固に足を止めようとしません。
どこまでも高く透き通るを眺め、どこまでも長い旅路を歩き、
ついに彼女を振り返らず、彼女の涙も見えませんでした。
深い夜、全ては寝静まっています。
母さんは心配で、彼の近くまで行こうとしています。
母さんはきっと彼を気遣って、眠りが浅い彼を起こさないように、
こっそり夢の中に忍び込んだのでしょう。
彼は母さんに心配してほしくないから、
いつも「大丈夫だよ、元気だよ」と話します。
子どもはついに、遠い旅に出かけてしまいました。
足を止めず、ひたすら前へ進む彼には、
ついに彼女を振り返れず、彼女の涙も見れませんでした。
深い夜、全ては寝静まっています。
母さんはやはり彼のことが心配で、彼の近くまで行こうとします。
彼は母さんに心配してほしくないから、
いつも「大丈夫だよ、元気だよ」と話します。
母さんはきっと彼を気遣って、眠りが浅い彼を起こさないように、
こっそり夢の中に忍び込んだのでしょう。
母さんはきっと、
彼が自分のことを思い出して、泣いてしまうのがいやだから、
彼が気づかないように、こっそり夢の中に忍び込んだのでしょう。
毛不易は母が亡くなってしまった時に、
母のこと、自分のことを振り返って、
この歌を作ったのだと思います。
お母さんはいつまでもお母さんです。
子どものことは大切に思っています。
だからこそ、たとえ自分が亡くなってしまっても、
子どものことを心配し、慰めようとするのでしょう。
お母さんはいつまでもお母さんです。
いつまでも、いつまでも、子どものことを一番大事にします。
いつもと違い長くなってしまいましたが、
この思いが皆と共有できたらいいなと思います。