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【ネタ帳】死に戻りのお妃さまは継子を大事にします
ネタの思うまま・・・冒頭描くときってテンションあっがるーと思いながらはじめの部分だけ無計画に書きました。
※残酷な表現が含まれております。
1.ランヒルドの死
「けほけほ……ひゅ、っゅ」
ランヒルドはせき込む。心配そうにしている侍女のアンネに声をかけた。
「吸入器の準備をしてちょうだい」
幼い頃から気管支が弱かったランヒルドは、冬の時期になると発作を起こしやすい。
事前に医者から吸入薬を多めに処方してもらって良かった。
次の往診の日まで、発作の回数が多くなってしまって普段の量だったらすぐに底がつきていただろう。
こんな辺境のさらに人気のない古城へ招き入れるなんて申し訳ないわ。
「皇太后さま」
アンネはおそるおそるとランヒルドに吸入器の瓶を差し出した。ランヒルドはそれを受け取り、アンネが薬の準備を終えたのを確認して、器具から出る霧状の薬を吸い込んだ。
少し経過したところで呼吸は楽になった。特徴的な咳もなく、霧状の薬が終わった後ランヒルドは外の様子を眺めた。
「今日は一層、雪が降るのね」
「はい。今日は暖炉の火に、魔石を少し入れておきますね」
このアルセン帝国の冬は一層激しく、ランヒルドの気管支に響きやすい。
それでも皇妃につけたのは医学と治癒魔法と魔石の進歩によるものである。
皇妃になった後長らくは気管支の発作は起きていなかった。
起こり始めたのはいつの頃合いだったか。
あの子の養育を任された頃である。
皇帝の愛人とできた子、庶子を自分の子として養育するようにと言い渡された後だ。
ランヒルドと皇帝の間には子がなく、庶子を皇太子とした。
その時から5歳になる皇太子を視る度に呼吸が苦しくなった。特徴的な咳は出ており、睡眠にも影響し、日々の生活に支障をきたす。
今まで制御可能だったのにどうして。
理由は考えずとも明らかだった。
医者より療養が必要と言われ、ランヒルドは皇帝に皇妃としての責務を果たせない為離縁を申し込んだ。
離縁をして宮殿を出よう。
皇帝もランヒルドとの縁が切れるのをずっと待ちわびていたはずだ。
子供もいないし、このように愛されることもないのだから丁度いい。
しかし、皇帝から許されることなく、ランヒルドは遠く離れたフリート城で過ごすことだけを許された。
皇太子が宮殿に入って、7年になったところで。
かつてこの国が多くの小国に別れていた時代の名残で残された城である。
宮殿に比べ殺風景な場所であり、ついてきたアンネたちは皇妃がこのような場所で過ごすのを嘆き悲しんだ。
ランヒルドとしては丁度いいと思った。
もう皇帝と皇太子に会う必要がないのだから。
静かに、ゆったりと過ごすが気管支の発作はあれから起こる。冬になれば特に頻度が激しくなる。
「皇太后さま、皇帝陛下の誕生祝いに何を贈りますか?」
距離を置いてからも発作は続くが精神的な辛さは起きていない。遠くから簡単なやり取りをする程度は支障が出なくなった。
それに気づいたのは3年前の頃、皇帝陛下が即位した頃である。
皇太子、いや皇帝は、今年20歳の逞しい青年に成長したと聞いている。
あの子とは溝があったが、今覚えば不憫な子だった。
憎らしい愛人の子、庶子であり、子のいないランヒルドの尊厳を傷つけていたが、それでもあの子自身には罪はない。
ただ生まれたばかりの子の中に愛人の姿を垣間見、皇帝と愛人の仲睦まじい姿を連想して苦しんでしまった。
もう少しランヒルドが強い女であれば、もう少し継母として色々なことをしてやれただろう。
後悔するランヒルドはそれでも距離を今更縮められる訳もなくお祝いの品物を贈るのみに留めた。
誕生日には刺繍入りのハンカチ、彼の肖像画をみて合わせて手配したカフスを贈ってみた。
捨てられているかもしれない。自分の母を死に追いやった私からの贈り物など。
それでも形式として、遅いながらも継母として何か贈ってやりたいと思った。
自分の自己満足だ。
皇帝はどう思ったかわからないが、簡素なお礼の返書が届けられた。その後どうなったか不明であるが、一応は受け取ってもらえたのだろう。
少しほっとした。
風の噂が届けられる。
皇帝が臣下の不正を暴き、粛清を始めたという。皇帝家を脅かす内容もあったということで、捕らえられ断罪された。法廷へ行くことを拒む者は、強硬手段へ入り騎士により粛清されたという。
「皇太后さま、どうかお助け下さい」
宮殿から訪れた臣下が嘆きながらランヒルドへ命乞いを始めた。
今まで咳を揶揄し、皇妃の役割を果たさず贅の限りを尽くした悪女と影で囁いたこのランヒルドに。
ランヒルドは自嘲気味に笑った。
臣下の訴えを聞くと、間違いなく皇帝家への反逆罪と取られても仕方ない。
「あなたの皇帝家への忠義が本物であれば、正々堂々と法廷へ立ち真実を告げればいい」
冷たく言い放つその言葉に臣下は唇を結んだ。
後ろめたいことがあれば、自力で他国へ逃げればよいだろう。特に止めたりはしない。
そもそもランヒルドに彼らを助ける力などあるわけないというのに。
帰っていただこうとすると臣下は図々しく言い放った。
「このままでは皇太后もただではすみませんぞ!」
聞けば、皇帝の生母の死にランヒルドが関わっているという噂が一層強く広まっているという。
皇帝の生母の実家を陥れ潰したのはランヒルドの実家であり、それは無実の罪だった可能性がある。
さらにランヒルドは彼女を精神的に追い込んだ。
皇帝の生母は悲しむあまり聖女ヴィヴィアナの像の前でのどを切り、血で汚した。
ランヒルドが追い込んだからという噂と同時に、ランヒルドが下手人を使い自殺を見せかけ殺したのだろいう噂が同時に流された。
ランヒルドの病は皇帝の生母の祟りだろうと。
「私たちの次はあなただ。あなたの罪が白日のもとに曝され、処罰されることだろう」
呪いのように叫ぶ臣下にランヒルドは深くため息をつき、従僕に命じて追い出してもらった。
「薬を用意してちょうだい」
先ほどから気管支に違和感があった。発作が始まりそうだ。
アンネに吸入器の準備をしてもらった。
霧状の薬を吸えば、違和感は消えるだろう。
「っ……ひゅぅ……っぜぇ」
ランヒルドの呼吸は和らぐことなく、一層激しくなった。
こんなことは今までなかったのに。
何かがおかしい。
ランヒルドは医者の往診を依頼した。身体初見は異常なく、薬の必要量が足りていないのだろうという指摘であった。
薬の濃度を濃くする処方を作ってもらった。
しかし、ランヒルドの呼吸は一向によくならない。胃のあたりがむかむかしてしまう。
「がはぁ……」
せき込んだ後に吐いたものは血であった。何とか止めなければと思ってもランヒルドの咳は激しくなり、嘔吐感も強くなっていく。
アンネたちの呼び声がきんきんと耳に響き、ランヒルドは倒れてしまった。
その後に強い悪寒が走り、全身が痛む。一体何が起きているのだろうか。
考えても答えはでず、苦しみは消えない。
痛み止めも使ってみたが、効果は認められあなかった。
睡眠薬を使い、ぼんやりとすることだけがランヒルドに残された唯一の症状からの逃げ道だった。
咳も、特徴的な呼吸の音も休まらず、胃のむかつきは続いて食事もとれなくなった。
ランヒルドは日に日にやせ衰えていく。
「皇太后様……、もはや容態の改善は見込めません。このまま苦しいままでもわずかな希望を頼りに治療を続けるか、睡眠薬を強めて眠りにつくか。私にはその2択しか提案できません」
後者はこのまま静かに死ぬことの提案だ。
無様な姿をこのままさらけ出すのはとてもじゃないが苦痛である。
「神は、お許し……かしら」
ランヒルドの言葉を聞き医者は首を縦に振る。
彼女は敬虔なロマ神の信者である。古の教えの中には自ら命を絶つ行為を大罪とするとある。
もはや古びた言葉であるが、信者の中にはそれを何よりも恐れる者が残っている。
ランヒルドもその類である。
本当は抵抗感がある。だが、この苦しみは耐え難い。
「あなたは十分苦しまれました。いつくしまずにはおられないでしょう」
医者は静かに耳元へ囁いた。ランヒルドは医者の提案の後者を選ぶ。
その前に皇帝への相談をしますかと聞くが、代筆を頼み贈るのみに留める。
今忙しい彼に自分のことで煩わせるのもよくないだろう。どうせ助からないし。
アンネが代筆の手紙を書き、最後にランヒルドがサインのみ自力で書く。震える手で、それでもランヒルドの字であるとわかる。
それをみてほっとした。
医者の用意した薬が入り、ランヒルドは深く眠りについた。
これで自分は全てが終わるのだと。
おぼろげな意識の中アンネが別れの言葉を耳に囁いた。
「さようなら。地獄でしっかりと苦しんでくださいね」
今までにないほどの冷たく、憎悪に満ちた声である。
「イルヴァお姉様の苦しみをしっかりと味わえ」
イルヴァという名は皇帝の生母の名だ。
今何と。
言おうとしたときにランヒルドの呼吸が乱れる。
苦しい。今までの比ではない程の苦しみである。
眠り薬で痛みを感じないようにするのではなかったのかしら。
そう医者に尋ねようとしても呼吸にならない。
「今いれたのは眠り薬じゃありません。今までの痛みや苦しみを呼び起こし、一層強くするものです。拷問道具として使用されるものです」
何故そんなものを。
「あなたが安らかに死ねるわけないでしょう。最後の最後に絶望して苦しめばいい!」
どうしてこのようなことを。
理由を知りたがっていると思いアンネは笑った。
「私はアンネローゼ・リンヴィス」
そういえばわかるだろうとアンネ、いやアンネローゼは名乗った。
リンヴィスはイルヴァの家門の名だ。リンヴィス伯爵家の。
「ずっと、ずっとあなたのその顔がみたかったの。その為にずっと苦労したわ。仇のお前に恭しく仕えて、医者の手配もして」
そうだったの。
ようやく理解したランヒルドは苦しい呼吸の中、すぅっと意識を手放した。
ふと、脳裏に浮かんだのは金色の髪に赤い瞳の少年であった。
とても悲し気な表情をしていて、あの子には何もしてあげられなかったな。
2.フェリクスの諦めた願い
「まぁ、もうおしまい?」
「体力の問題もあったのでしょう。栄養状態も悪かったですし」
「悔しいわ。もっと苦しめたかったのに」
息を引き取ったランヒルドの髪を引っ張りアンネローゼは呟いた。
「まぁ、いいわ。この手紙を贈って……一応、綺麗にしておかなければ」
辺境で隠居生活を送っているとはいえ、皇太后なのである。
皇帝が形式上でも、皇太后の葬儀には顔を出す可能性もある。
少しでも見栄えをよくしなければならない。
「あーあ、侍女たちに任せておこうっと」
「アンネローゼ様も意外にせっかちですね。皇帝陛下から皇太后への断罪を待てばよかったのに」
「だって、あの子ったら全く私の言葉に耳を入れてくれないのよ。あんなにこの女のした情報を届けてやっているのに、臣下どもの不正を暴くばっかり」
アンネローゼはやれやれとこぼした。
「でも、もうおしまい。あー、これでせいせいした」
遠くの方で大きな音がした。ただでさえ少ない使用人たちが、慌てて大きな声をあげる。
「もう、皇太后さまの体にさわるから静かにってしっかりと言ったはずなのにうるさいわね」
アンネローゼは舌打ちした。
足音がことらへと近づく。雪で濡れた、革靴の音である。
それも複数の。
何かおかしいとアンネローゼは慌てた。
扉が開かれると現れたのは予想外の男であった。
「へ、陛下っ!」
アンネローゼは慌てて礼をする。
フェリクス・ランヴァルド・アルセン。
アルセン帝国の皇帝である。
「どうしてこのような場所に」
「私が母に見舞いへ来て何かおかしいのか?」
フェリクスは首を傾げた。
今まで特に会うこともなかったというのに。
「今までは遠慮していたが、容態がよくないと聞き駆けつけてきた」
ちらりとフェリクスはアンネローゼをみやった。
「何故、ここにあなたがいる?」
大層冷たい言葉であった。
アンネローゼはぞくりと身を震わせた。
生母の妹であるアンネローゼが侍女の姿でここにいるのがおかしい。
「わ、私は皇太后様のお世話を参りに」
「あれほど皇太后を嫌っていたあなたが?」
「それでも、病に苦しむ姿をみて、今までの感情を捨てたのです。ですが、皇太后様の容態はよくなるどころか悪くなる一方……」
疑いのまなざしを向けられたアンネローゼは先ほどの手紙を差し出した。
「これは、皇太后様から陛下へと」
フェリクスは手紙を無造作に開け、中身を確認する。
容態が一向によくならず、眠りにつくことを選びました。
自分のことは気にせず、自分のやるべきことをしてほしい。
どんな結果になろうと私は受け入れる。
最後にランヒルドのサインが記載された。これだけは本物の彼女の字である。
「薬の中身を調べろ」
フェリクスは騎士に命じて、騎士は医者が持つ薬の入れ物を確認した。彼は薬に詳しく、医学と治癒魔法を習得した騎士であった。
彼の報告に皇帝は表情を変えず医者に問い詰める。
「どうして拷問用の薬が入っているのだ?」
「それは、たまたまです。今から行く仕事先が収容所だったのですよ。スパイを尋問するために作ってくれと依頼されました」
嘘ではない。町の外れには罪人や、隣国のスパイを収容する施設がある。医者は定期的に作る依頼を受けていた。
「すぐに近くの収容所に確認をとれ」
フェリクスは別の騎士へと命じる。
特に問題ないはずだと医者は考えた。
「陛下、皇太后様の体を綺麗にしてさしあげたいので少し別の部屋でお待ちいただきたいのですが」
アンネローゼは困ったように部屋を確認した。寝台の上で乱れた姿のまま最期を迎えた女性の体がまだある。
本当は数日このまま放置したいところであるが、仕方ない。
「そこの吸入器を回収しろ。あと、皇太后の体を帝都のイアンの元へ送れ」
イアンというのはフェリクスの部下の一人である。医学研究家で、皇帝の許可でたくさんの囚人の死体を解剖している狂人だ。
「陛下! あんまりです。皇太后様の体に傷をつけるなど……どうか、少しでも綺麗な状態にさせてください」
「アンネローゼ・リンヴィスを捕え、幽閉塔へ護送しろ。そこの医者も」
アンネローゼの悲鳴が響いた。騎士たちに捕えられ必死にやめさせるよう訴えるがフェリクスは耳に入れる様子はない。
何故、私はあなたの叔母なのよ!
長く不満になっていた声が、廊下中をとどろかせた。医者は観念したように、「全てを話します」と言い騎士に大人しく捕縛された。少しでも自白すれば罪が軽くなると考えたのだろう。
どうやって囲い込んだかだいたい予想がつく。
アンネローゼへの忠誠心などこの程度だということか。
皮肉げにフェリクスは吐いた。
騎士がランヒルドを運ぶ為の棺の手配をしている間、フェリクスは静かになった部屋を確認した。
部屋にいるのはフェリクスと寝台に横たわっているランヒルドの二人だけである。
彼はおそるおそる、周りを確認するようにランヒルドへ近づいた。傍らで、膝をつき彼女の姿をみる。
ひどく痩せていて、口元、胸元が血で汚れていた。
せめて口周りだけは綺麗にしたいな。
外で待機していた従僕に命じてぬるま湯と手ぬぐいを持ってこさせた。
「陛下、私がします」
従僕が言うが、フェリクスは手ぬぐいをお湯にひたしランヒルドの口周りを拭いた。
もっと綺麗にしたいが、イアンの解剖に影響がでるかもしれない。少しでもアンネローゼが残した証拠を明らかにしておきたかった。
ランヒルドののどからは昔聞いた音が聞こえない。
「もうあなたは私を見て苦しむことがないのですね」
フェリクスは切なそうに言葉をかけた。彼のてぬぐいを持つ手、その袖口には美しいルビーのカフスがつけられていた。
フェリクスの紅い瞳に合わせて選んだようなルビーの石である。
ランヒルドが彼に贈った誕生日プレゼントであった。
幼い頃に出会ったランヒルドの姿を見る。
銀色の髪に、青の瞳、おそろしいほど白い肌の美しい女性であった。
この人が母親になると聞かされて、信じられなかった。
フェリクスの記憶の中にいるランヒルドはいつも体調を崩していた。
特徴的な呼吸をして、苦しそうにしていて、何とかしてあげたかったけどすぐに部屋から追い出される日々であった。
ランヒルドに出会って1週間してから侍女たちから聞かされたのは、ランヒルドがフェリクスを妬ましく感じているということ。
イルヴァと同じ金色の髪に、父皇帝と同じ赤の瞳を持つフェリクスはランヒルドにとって憎悪の対象となっている。
あまり不要に近づけば危ないですよと侍女から注意を受けた。
ランヒルドがいなくなってから、周りから良かったですねと言われるがフェリクスは複雑な心情であった。
自分にはあの人の笑顔を見ることができなかったのか。
大きくなるにつれて彼女の心境は少しずつ理解するようになった。
父の愛を独占する母の子であるフェリクスを愛せるわけがない。
多くの貴族の家の事情を耳にしていたフェリクスは、同年代の友人から質問された。皇妃から酷いことをされていなかったかと。
そんなことはされていなかった。
一緒にいることを拒絶されたのは悲しかったけど、それ以外は特に何もされていない。
彼女と自分の関係を知れば知る程、彼女の苦しみを察してしまう。
だから、会わない方がいい。母の愛をあの人に求めてはいけない。
だから嬉しかった。
3年前の誕生日にあの人から贈り物が届けられたことが。
でも手紙はひどくシンプルな内容で、こちらもいろいろ書くと逆に気を重たくするかなと考え簡単な一言だけの返事にしてしまった。
今会いに行ってもいいかもしれないと思いながらも、会いに行けば体調を崩すかもしれないと不安になった。
今祝いの品を贈れるようになったのは久しく顔を合わせていないからだ。
せめて様子を伺うだけでも許されないかと密かに従僕を送り込んだ。
従僕からの報告で容態が悪化してきているという報せが届けられた。
フェリクスは信頼できる治癒魔法使いの騎士を連れて、後から医者も来るように手配して急いでランヒルドの元へ駆けつけた。
部屋を訪れた時はすでに彼女の息はなく、同時に叔母の姿がありフェリクスは体中凍り付く心地がした。
アンネローゼは髪の色や化粧で別人のようにふるまっているが、すぐに彼女だと気づいた。
そして今に至る。
棺が届く様子がない。遅いなとフェリクスは窓の外をみた。
雪がちらちらと降り続けている。窓の近くまで寄ると大きな結晶が虹色に輝いていた。
今日は雪の女王の訪問か。
悪戯好きの妖精のゲルダの物語を思い出す。
彼女は虹色に輝く雪結晶が降る夜に現れる。
雪の中迷い込んだ人を迷わせるのが大好きなのだ。行った先には先ほどいた場所へ戻す。それの繰り返し。
何時間も歩いているのに一向に目的地にたどり着けない。
人々の反応をみてゲルダはくすくすと笑う。
楽しみ終えたゲルダはようやく魔法を解いてやるのだ。人はようやく目的地にたどり着いたが、確認するとほんの少ししか時間が経っていなかったという。
ゲルダは時間を操る魔法を持っているのだ。
ゲルダは小さな子供の味方でもある。ある姉と弟が遊んでいると、弟はうっかり池へ落ちて死んでしまった。姉はおいおいと泣いて、あまりに可哀そうだと思ったゲルダは時間を戻してやった。池へ飛び込む弟を姉はすんでのところで助けることができ二人は仲良くお家へ帰ったという。
窓を開けてフェリクスは手をかざして口にした。
「ゲルダ、ゲルダ。私を哀れむなら……いや、何でもない」
ようやくランヒルドは苦しみから解放されたのである。
時間を戻し再び会えたとしてもまた苦しむに違いない。
自分のすべきことはある。
自分の役割を認識して、ランヒルドの言葉を思い出す。
皇帝として、子としてなすべきことをしよう。
ようやく訪れた棺の中へランヒルドがおさめられた。
馬車の中へ運ぼうとして、フェリクスはまだ時折みる虹色の雪結晶をみた。
今日はずいぶんとゲルダが長くいるな。
「皇太后」
棺を少しだけ開けさせる。ランヒルドの顔が少しでてきた。
「見えますか。ゲルダの雪結晶です。あなたは見たことがありますか? とても綺麗ですよ」
当然返事はない。
「すみません。寒かったでしょう」
フェリクスは再び棺を閉ざし馬車へと運んだ。
少しだけ棺が開いた時にゲルダの雪結晶がランヒルドの棺に入り、彼女の頬に触れた。
冷たいわ。でも、ちょっと温かい?
変な心地である。
ようやく苦しみから解放された。もう眠りにつくのだ。
「皇妃様、朝になりましたよ」
侍女の言葉である。
誰だろう。
アンネローゼの声とは違う。ずいぶんと懐かしい声である。
ロッテだわ。
5年前に流行り病でなくなった侍女。ランヒルドがフリート城へ一緒に移動してくれたが、一緒に来なければ病にかからなかっただろう。
ロッテと同じところへ来たのかしら。
死後の世界がどこであろうと、彼女がいるとわかると安心する。
「皇妃さま」
とんとんと肩に触れる感触が妙にリアルである。
そうだった。彼女はこうやって起こしてくれた。
ロッテの顔をみようと目を開ける。
起きると自分は皇妃だった頃の部屋にいることに気づいた。
「皇妃さま、どうしました?」
「いえ、あの世とは随分懐かしい場所なのね」
「何を言っているのです」
ロッテはくすくすと笑い、慣れた様子でランヒルドを鏡の前へと案内する。
鏡の前へ立ったランヒルドは自分の姿をみて驚いた。
20歳の、若い姿であった。
肌艶も死ぬ前と全然違う。体も軽いわ。
髪もずいぶんと痛んでいたが、しっかりと手入れされていて艶やかだ。
34歳で死んだランヒルド皇太后は、20歳の皇妃だった頃へと戻っていた。