何故かnote界隈で有名?な方々がいいねしてくれている事象について
正直、自分の記事を見てくれているので、ありがたい限りで嬉しい半分、複雑な気持ち半分。
何故、私の記事を見てくれているのだろう。
自分の文章が駄文だとはわかっている。
例に挙げるのならば、昨日の書いた記事は1週間以内の投稿を続けているともらえるバッチの為だけに書いただけで、いいねなどを貰う目的でも何でもなかった。
正直、noteを続けている事に苦痛を感じ始めていた頃で、半分引退していた時だったので、また気持ちを再燃させる原動力にはなったが……
自己評価としては見る価値があまりないnoteだと思っている。自分が勝手に世界に公表している日記に近いか。
では、何故いいねしてくれるのだろうか。
おそらく、メンバーシップや、有名になりたい人は私を見て!のための「いいね」なのだろう。もちろん、違う人もいるとは思うが……
いいねを押してくれた人の記事を少しだけ見た。
ハッシュタグを沢山つけたり、文章を携帯で見やすくするための工夫がなされていたり、画像は載せていなかったり……
そして、大抵の人はnoteで有料記事などを書いていたり……私は課金する気にはなれなかったが。
私は偉そうな事を言える立場でも何でもない。ただ、そこに記事があり、いいねしてくれる人がいるという事実だけ。
感情という物は文章から読み取れる気がするだけで、私はそこにおらず、データの羅列が文字のようなピクセルを作り出している。
正直、自分のnoteは自己満で、売れたいという気持ちはあるものの、それは「将棋を良い形で広めつつ売れたい」のであって、「金を稼ぐためだけに売れたい」というわけではない。
このプライドを捨てる所から始まりそうというのがnoteで売れるための前提条件な気がしてならない。
実際、noteの将棋関連でいいねの記事が沢山ついている人の記事には、将棋をそこまでやった事がなさそうな人が将棋について語っているような物がそこそこ多かった。
藤井聡太についてわかった口調を並べる者、将棋というゲームの性質をわかっている風な口調の者。(ここ最近の記事に、いいねをつけてくれている人には将棋の記事を書いている人はいなさそうではあった)
藤井聡太に記者が「将棋はどれくらいわかっていますか?」と聞いたら「森林限界の手前」と返答が返ってきた。ようするに半分もわかってないです。という事らしい。
私は将棋倶楽部24というプロとアマチュアが混合するサイトで上位15%くらいに位置するのだが、その私ですら藤井聡太の手の意味の理解が出来ない事が多々ある。
おそらく、その私より弱い人が藤井聡太の何を、もとい将棋の何をわかっているのだろうか。
私は売れるために記事にある事ない事を書く悪人にはなりたくはない。誇張表現も出来ればしたくない。
以上、ピクセル上のデータでした。