目標を立てる【自転車と歩んだ4000日】
ロードバイクを買って半年もしない頃、御堂は試練のど真ん中にいた。
便潜血陽性。大腸カメラを受けることになった。
御堂の家族歴は親族みんな癌で喪うレベルで、生きてる家族も癌サバイバー。自分も当然癌になると思っていた。
そして誰よりもその治療成績を見てきた御堂は自身が癌になった時のビジョンがすでに決められていたのだ。
治療はしない。
治療して自分らしく生きられないくらいなら、治療せずに自分を全うして生きる。
それは二十代の頃から決めていた。いや、中学生で尊敬する逸見政孝氏を喪った時に読んでいた、癌に関する書籍を読んでいた頃から決めていた事だった。
生きるために乗った自転車だった。それを24万円出して新たに買い替えた。
白い塗装に青い重ね塗り。ガンダムのようなカラーリングだから「ガンダム号」と名付けたその車体。
これから色々なところを走りたかった。
乗り始めた頃の目標だったビワイチも、まだできていない。
そして…自転車を始める前から名前だけは知っていた、鈴鹿サーキットを8時間走るイベント「鈴鹿8時間エンデューロ」にも出てみたかった。
もし精査してヤバいものが見つかったら、全てが出来ずじまいで人生を終えるかも知れない。
泣いた。御堂は夜な夜な震えて泣いた。恐怖と悔しさが心を埋め尽くしていった。
大腸カメラ当日。
「ポリープ見つかったので取っておきました。病理に回しますね」
あ…しないはずの治療を終えてしまった。
そして結果は良性。
「多分痔ですね」
ある意味残酷な事実が、医師から笑顔で告げられた。
その前に御堂はパートナーと共にある浜辺を訪れていた。
散骨希望の海をパートナーに伝えたかったのだ。前日泊まった宿で、御堂はパートナーを強く抱きしめて、震えて泣いた。
「怖いよ〜」
大腸カメラを受ける三日前の出来事だ。
あっさり切除され、その後は「腸におデキができました」とネタにされる出来事だったが…。
治療の意思はない。良性ではなく悪性だったら?その場合、御堂はもうこの世にいなかったかも知れない。
そんな小さな命の葛藤と闘いを終えた頃に、あるSNSで「自分トレビア」という質疑応答を投稿する機能が公開された。
「生きてる間にやりたいことは」
ちょっと…タイムリー過ぎるだろ。御堂は嘲笑を浮かべると、すぐさま文字を打ち込んだ。
「鈴鹿8時間エンデューロと富士ヒルクライム参戦」
その投稿を見た自転車仲間がコメントをくれて、その年の秋に鈴鹿参戦が実現した。
初めてのレースで叩き出したタイムは書けないくらいに遅く、10分台だった。
自分でも遅すぎると感じた御堂に目標が出来た。
「次は10分切るぞ!」
この鈴鹿参戦を前にして、御堂は狂ったように坂道を登るようになった。
最初は「負荷から逃げてはいけない」程度の理由だった。しかし登り始めると違う感情が芽生えてくる。
「キツイけど登りきれた!」
社会はお前らの保護者じゃない。誰の言葉だったか…。
成長を実感できる出来事など20代でなくなった瞬間に枯渇する。
もはや成長の実感は人から得られる承認でしか得られなくなっていた。
しかし社会は僕たちの保護者ではないのだ。誰も褒めてくれない環境の中、それでも怒られるのは若い頃以上に頻度が増える。
しぼんでいくメンタルを支えてくれたのは、新たな坂を登りきった瞬間のあの気持ち。
「諦めなければ坂は登れる。越えられる」
30代だから何だ?40代だから何だ?40代半ばにして、今の御堂は昔よりも早い。
諦めなければ坂は登れるのだ。
登りきった自信が、自分自身の承認欲求を満たしてくれる。
同時にStravaが教えてくれるのだ。自分が登りたくなった坂は、他の人も登っている。
そして御堂はどんな時もビリではなかった。そして再挑戦すれば自分自身を超える事も出来たのだ。
それを積み重ねる内に自身のやり残した事を思い出す。
「富士ヒルクライム」
こちらは残念ながら実現していない。御堂の仕事上の都合で、開催時期に休みが取りにくい事が1番の理由だった。
それと昨年に富士スバルラインを走った時に、足切りにあうであろうタイムを弾き出してしまったのだ。出場して完走できないのはあまりにも悲しい。
御堂が自転車に乗り始めた頃に読んでいた自転車漫画は「乗鞍ヒルクライム」が最初に迎えたレースだった。
その開催日は8月。それなら参加できる!しかし御堂の頭をよぎるのは富士山での体たらくだ。
とりあえず試走しよう。
この夏御堂は新しく挑戦する。恐らく日本の道路で、自転車で行けるもっとも空に近い場所。
乗鞍エコーラインへの挑戦。
登り切れるのか、わからない。足を着かずに走りきれるかわからない。トイレが限界を迎えないか、とても心配だ。
しかし…いや、だからこそ。それは目標となる。その達成が御堂を新しいステージに連れて行ってくれる。
登った瞬間に、次の目標が生まれる。それが坂の宿命だ。
次はもっと早く。そして、次の坂はどこだ?
この夏の挑戦は御堂にとって次へのスタートラインになる。
人とも自分とも自然とも戦える自転車がある限り…。
挑戦は終わらないのだから。