= すなわち これが真実!
小学校の授業を見て「私たちとは違うな」
と思ったこと。
「こうでなくてはならない」
「小学校は間違いだ」
という訳ではない。
違いを知らなくては、中一ギャップを見誤る。
5×(4+3)-(5-2)÷3
4+3に下線をひいて7、5-2にも下線をひいて3
5×7を丸で囲んで35、3÷3もまるで囲んで1
そしておもむろに与式の右に「=34」と書く
4+3
----
7
って書いてあるから分数と読んでしまったよ。
考えていることを順を追って言語化(式化)することを求めていない。順を追って計算する判断力と計算力を求めている。
和算の
「答えて曰く」
「術にして曰く」
という
問 → 答 → 解き方(術)
の例にならっているのだろうか。
色々ごちゃごちゃ何やかやあって…これは足元に捨ておいて、「真実はひとつ!」って = の右に書いてあるように見える。
この書き方を続ける限り途中の式(表現)なんて力は着かない。
問
=(ほんでなぁ)
=(そやしなぁ)
=(だからなぁ)
=(そしたらなぁ)
=(これやねん)
という書き方にする。ここでは順接の接続詞ばかりである。
(-5)-(+3)
=(-5)+0 -(+3)
=(-5)+(-3)+(+3) -(+3)
=(-5)+(-3)+ (+3)-(+3)
=(-5)+(-3)
という変形や平方完成などの「ところで」という転換の接続詞
背理法の逆説の接続詞
が使えなくなる。
中学校で求める力は直ぐに着く訳ではない。
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