同和(女性の敵は女性」
いつの時代も被差別の人たちを解放しようとすると、馴染んでしまって被差別の感覚のない人が変化を恐れて理屈でなく感情論を振り回す。
被差別部落の人が「職を失う」
女性が「養われなくなる」
「守ってもらえなくなる」
小作者が「作物を自分で決めて、不作のとき守ってもらえない、助けてもらえない」
その他、今ある「優遇」がなくなることへの怯えでいっぱいになる。
新しい環境への不安、今までそこで生きていた人と合流することの不利。
でも、そうして新しい価値観と生き方を手に入れていた。
囲い込みや分断統治で安住してたのに放り出されて自分の責任で生きていかなくてはならない。
自助にのみ生きる道がない。
共助も公助も期待できない。
それなら「自分だけ」「自分さえ」の思想が強まる。
そうならないように、「同和」という考え方ができたんだと思う。
学問するのに男女を分ける必要があるのか?進学した後、
「なんだこれ?え?みんな知ってるの?」
と劣等感を持ったとき、男子なら既習と聞いた時は驚きだった。
また、逆に「食品の廃棄率」や「油溶性ビタミンと水溶性ビタミンの吸収率から見た調理法」を意図しないコスパの悪い調理に意見したら「???」だったこと。
そんな小さなことの積み重ねを生き抜いてきた。
「男女共学の中学校においてなぜ数学の成績を男女別で出す必要があるのですか?」
きつい言い方になるが、それなら出身小学校別ならわかる。
男子脳だから、女子脳だから、男子校に進むから、女子校に進むから、と成績を分けるのですか?
このことと闘ってきたものとして理屈じゃないが、腹が立つ。
今流行りのポリコレでなく、自立した市民として、別学に何を求めるのか?
今、大阪の私立高校では共学化が進んでいます。これは、受験生のニーズです。
トップ進学校の多く男子校なのが女性の社会進出を阻害している1つの理由なのではないでしょうか。トップと言われる大学の学生の多くが偏った高校生活を送ってきているからではないでしょうか。
大阪府では昭和20年代に男女交流して共学化して、共学が当たり前になりました。その中で👨だけの活動、女だけの活動があり、みんな一緒ではなくそれを見るだけのこともありました。
行政の力で無理矢理、有無も言わせずやりとげました。
ニュースを見てひとこと「いやぁ、昭和に終わったことをまだイジイジとやってるところあるんだ?!ビックリしたぁ」
でした。
共学化が嫌な生徒さんの気持ち、わかりますよ。すごくわかります。
でも、勉強しに学校へ行くんでしょ?
って言ってあげられる大人が周りにいないのですかね。
男女共学してほしい生徒の声がニュースから聞こえてこないのは偏った報道なのですかね。
重ねて言いますが、今の「変なポリコレ」の流れに乗った意見ではありません。
「頑張ろう」「頑張ってんのに」と思ってスカートを踏まれ続けた者の意見です。
よその県なので、他人事ですが。
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