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ぼっち理系大学生が鬱から編入で何とか進路を建て直した話 part2
2 留年から編入試験不合格→地獄の鬱生活へ
注:こちらはpart1の続きになります。読んでない方はそちらの方も是非!
前回の話 自分自身の大学生活、将来に疑問を抱きつつもこれまでの自分を省みず先走った結果、 ぼっち そして留年という結果になった。
当時は留年という事実を突きつけられ、何もかもが嫌になった。こんなつもりじゃなかったのに何で俺ばっか。自分の人生、運命に嫌気がさした。
そう、そこでも自分自身のこれまでの行動を振り返らず責任を世の中に押し付けたのである。 まったくもって情けない話だ。
そこでもし現実をしっかりと受け止め、少し立ち止まって考えていればちょっとでも軌道修正出来たかもしれない。しかし、その時自分が考えたのは
「 編入試験に受かれば全てチャラじゃん!まだ何とかなるやん! 」
本当のアホである。
その先は地獄だった。 両親に「8単位って…卒業出来るの?大丈夫?」
と心配してくれてるのに、高い授業料を出してもらっているのにも関わらずそれにも気付かずに「大丈夫!!」と嘘をついたのである。
その後の秋学期は履修登録は一応済ましたものの、ほとんどの授業には出ず、一人暮らしの家で勉強していた。落ちたら全てが終わると日々不安に押し潰されそうになりながらひたすら勉強した。
しかし、本格的に勉強を始めたのは10月上旬頃からで試験日は12月の上旬。
(どこを受験したかは後々、別の記事で記載するかもしれません。)
明らかに無謀だった。挑戦と無謀は全く違うと分からなかった愚かな俺はただただ勉強した。
試験科目は小論文(経済学)、英語の二科目 と 面接。
明らかに勉強が間に合ってないと分かりつつもいざ試験へ。
結果は 不合格
分かり切っていたことである。とはいえ悔しかった。
悔しがる権利などないのだが。
そこで自分の人生は本当に終わったんだと悟った。終わっていたのは自分の人生ではなく自分自身なのに。
ちなみに編入試験は大学ごとに試験日はまばらで年を越して1月ましてや3月の大学もある。ちなみに日本大学 経済学部の二次募集の試験日は3月である。
なのでまだ諦めずに他の大学を受けるという選択はあったものの最初の試験の不合格、親への謝罪、留年 全てがのしかかりようやく自分はなんて馬鹿なことをしたんだと自分に失望した。気付くのが遅すぎた。
自身を毎日責め続け、毎日泣いた。
精神的に苦しくなり一ヵ月ほど引きこもった。そのせいで大学の最後の期末試験にも行かず、結果として0単位も確定した。変わりたくても変われない自分に悲しくなった。
もう人生を終わりにしちゃおうと親に散々迷惑をかけておいてまたもや無責任な行動をしようとした時、ラインの通知が鳴った。
親からのラインだった….