走り出せば、風が吹く
街に人が戻ってきたような気がする。
にぎやかな声があちこちから聞こえる。
以前の生活に全てが戻っているわけではないが、
以前、当たり前だった風景はこんな感じだっただろうかと
懐かしささえ覚える人は少なくないだろう。
振り返れば、良い感情を抱くことがしにくい時間だったと思う。
そんなに深く考えてもどうしようもないし、どうにもならない。
そんなに悲観することでもなかったのかもしれないが、
そんなふうに自分を俯瞰的に見られるほど、私は大人になっていない。
そもそも、何が幸せで何が不満で、何が苦しくて、何が楽しいのか、
全て投げやりになっていて、ぶっきらぼうな思いが突出していた。
楽しく生きよう、と言われるとそもそも楽しんで生きていくことを
なぜ強要されないといけないのか、分からなくなった。そそのかされた
欲望に振り回されるのはごめんだと思った。
走りに没頭することも疲れた。体力の落ちつつある体は、少し汗をかくだけで満足だった。そもも大会もないのに、そんなに頑張り続けるとか、そんな
モチベーションがあるはずがない。排気ガスで少し汚れた街中を走ると、
無数の車に追い抜かれ、すれ違い、そのたびに私には敗北感のようなものがよぎった。こういうのを被害妄想と呼ぶのだろうが、きっと誰しもある感情だと思う。そんな珍しいことではない。私はかわいそうだ、と思うことで、
自分を保っていたようにも思う。
4月。久しぶりに山を走る大会に出た私は、また走り始めた。少しずつ
以前のように走れるようになっていくのが分かる。足の上がり具合や、
地面をつかむ感覚。時々、嬉しくて、吹いてくる風に、全てを預けたくなるようなこの感じ。まだまだ、100%には程遠いが、走り続ければ、きっと
何かに出会える気がしてならない。