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被爆80年 平和朗読作品『祖母・手島早苗からの手紙』を制作しました

被爆80年 平和朗読作品『祖母・手島早苗からの手紙』を制作しました

長崎に原子爆弾が投下されたのは、昭和20年8月9日11時2分のことです。今年令和7年は、被爆80年の年に当たります。また、私事で恐縮ですが、平成7年にサラリーマンからフリーランスライターに転身して、今年で30周年です。そこで被爆2世の私は、被爆80年とライター生活30周年の節目の年に、平和朗読作品を制作することにしました。そう思い立って朗読作品を書き始めたのは、令和5年の12月頃だったと思います。

人生最初に原爆について真剣に調べたのは、2004年初版の平和ガイドブック『原爆被災地に平和を学ぶ』(長崎文献社)の執筆・編集の仕事を受けたときでした。この取材過程で、母の被爆体験を知り、被爆の実相を知りました。それから4年後の2008年には、日本非核宣言自治体協議会(非核協)が創刊することになった、おやこ記者新聞『ナガサキ・ピースタイムズ』の編集ボランティアを始めました。全国の会員自治体から小学生とその保護者を長崎に招待し、平和祈念式典や被爆者の方々などを取材してもらい、平和新聞を発行するという平和の種まき事業です。2014年には、この編集ボランティアがきっかけで国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館主催の被爆体験記執筆補助事業を手伝うことになり、以来10年間に被爆者の方々百数十名から被爆体験を直接お聞きする貴重な機会を得ました。

チラシ表面

朗読作品の内容はフィクションですが、これまでの経験を踏まえた上で、被爆者の方々百数十名から直接お聞きした、被爆の実相ととくに印象に残ったエピソードなどをベースにしました。多くの被爆者の方々の「世の中から戦争と核兵器をなくしたい」という共通する思いや願いを伝え届ける作品でもあります。

《ある日、「祖母の被爆体験を記録に残したい」と孫娘から懇願された手島早苗は、孫娘宛に一通の手紙を書きます。その手紙には、50年前の夏の長崎に起きた悲惨なできごとと、早苗自身の被爆体験が赤裸々に綴られていました。手紙の後半には、職場の同僚の男性との束の間の交流や意外な事実が明かされていきます。もしあの戦争がなければ、もし長崎に原爆投下がなければ、私にもまた違った人生が……。〉というあらすじです。

どうにか初稿が書き上がった頃に、長崎平和推進協会の「秋月グラント」助成事業のことを知り、応募して令和6年6月に運良く選定されましたので、令和7年1月25日(土)、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館にて、お披露目の発表会を開く運びとになりました。

「秋月グラント」助成事業に応募する際に、もし選ばれたらという条件付きで、朗読をフリーアナウンサーの前田真里さん、モニターに映し出す作画を漫画家のマルモトイヅミさん、音楽を長崎OMURA室内合奏団の池田祐希さん(ファゴット)にお願いし、快く引き受けていただきました。池田さんの紹介でピアノの下条絵理子さんも加わってくださいました。

チラシ裏面

手を取って引き上げていく山登り。前田真里さんの魂の朗読に、池田祐希さんと下条絵理子さんの寄り添う演奏と、想像力を膨らませるマルモトイヅミさんの作画が加わり、プロフェッショナル4人のお力で拙作を一編の芸術作品の域にまで引き上げてくださっていると感じています。

令和7年1月4日リハーサル

敷居は低く、間口は広く。この作品は、これまで平和を考える時間があまりなかった一般市民の方々に、被爆80年をよい機会として、ぜひ一度聴いていただきたいと思います。被爆体験講話や体験記そのものの朗読だと、なかなか聴く機会がないという方にも、そこに物語性と作画と音楽を加味することで、平和を考えるひとつの入り口として興味を持っていただければありがたいです。とくに中学生以上の若い世代に伝えたい作品でもあります。

ニュースなどでご存知のように、世界情勢が不安定で危機的な段階に入りつつある現在、たとえ個人の小さな平和への試みでも、被爆地・長崎から発信していくことに意味があると信じます。戦争のない世界、核兵器のない世界の実現を切に祈り願いながら、25日(土)の本番では精一杯上演させていただきます。




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