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被爆80年 平和朗読作品『祖母・手島早苗からの手紙』を制作しました(2)〜平和朗読作品『祖母・手島早苗からの手紙』が上演されるまで〜

被爆80年 平和朗読作品『祖母・手島早苗からの手紙』を制作しました(2)

〜平和朗読作品『祖母・手島早苗からの手紙』が上演されるまで〜

平和朗読作品『祖母・手島早苗からの手紙』を書き始めたのは、令和5年の年末頃でした。内容はフィクション(創作)ですが、執筆補助の仕事で聞き取った際にとくに印象に残った被爆者の幾つかのエピソードを物語に盛り込むことにしました。ストーリーの根幹にしようと決めたエピソードは、2019年に90代の女性から聞き取った体験談だったので、被爆した女性が孫娘に被爆体験を伝えるという設定のストーリーが浮かんできたのです。

以下、ストーリーに盛り込んだ主なエピソードです。

◯幸町の造船所給与課勤務のエピソード
2019年にお聞きした女性(当時94歳)の証言。20歳のときに造船所の幸町工場給与課勤務中に被爆。避難する途中、髪の毛の抜けた報告隊の女子生徒に出会う。三ツ山町のおじの家に身を寄せているとき(昭和20年8月10日)、同僚の男性が自転車に乗って訪ねて来て、一泊して帰る。その同僚の男性は翌日家に帰り倒れて亡くなる。

◯被爆当日ボーイフレンドと映画を観る予定だったというエピソード
2019年にお聞きした女性(当時95歳)の証言。当時お付き合いのあった彼は三菱製鋼所で勤務中に被爆し亡くなる。彼の妹さんから「兄ちゃんはね今日(昭和20年8月9日)一張羅の背広ば来て行ったとよ」と聞いた。

◯幸町のガスタンクが潰れていたというエピソード
2019年にお聞きした男性(当時82歳)の証言。昭和20年8月10日の朝に潰れたガスタンクを見た。

◯若い男女が手を取り合っている焼死体のエピソード
2019年にお聞きした女性(当時91歳)の証言。道ノ尾駅付近で若い男性が女性の黒焦げの死体に手を伸ばして亡くなっていた。

エピソードを織り込み物語を書き進めながら、ストーリーが固まっていくうちに、なんとかこの作品を発表する場を設けられないかと思うようになりました。昨年の春頃だったか、国立長崎死没者追悼平和祈念館前館長の高比良則安さんから、長崎平和推進協会「秋月グラント」助成事業のことをお聞きして、5月末頃にダメ元で申請してみることに決めました。

そこで、もし助成事業に選ばれたらという条件付きで、初お披露目の朗読発表会の朗読をフリーアナウンサーの前田真里さんに、作画を漫画家のマルモトイヅミさんに、音楽を長崎OMURA室内合奏団の池田祐希さん(ファゴット)に依頼してみると、嬉しいことに3人とも快く引き受けてくださいました。「秋月グラント」の申請書類にも3人のお名前を出させていただきました。事前に配布するチラシデザインなど印刷物関係はデザイナーの浜崎稔さんに依頼しました。

それから申請書類や朗読作品(未完成)の提出、面談などを経て、昨年6月に令和6年度「秋月グラント」助成事業に選定されました。たぶん、長崎市在住でありながら県内外でご活躍中の前田さん、池田さん、マルモトさんのお名前を出せていただいたことが、審査した方々に朗読発表会を見てみたいと思わせ、選定の決め手になったのではないかと勝手に推察しています。

「秋月グラント」選定決定を受けて、まずは事業概要の説明を行うことと出演者・スタッフ初顔合わせの意味合いで、食事会を開くことにしました。発表会やリハーサルの日時を決めるために早急に関係者のスケジュールを確認する必要もあったからです。食事会では、私が事業概要や作品意図を説明し、それぞれがイメージするアイデアを出し合いました。それから間もなくして発表会と通しリハーサルの日程を決めました。

曲がりなりにも初稿が完成したのが昨年の8月末でした。初稿を受けてマルモトイヅミさんと最初の作画の打ち合わせを行ったのが10月初旬でした。マルモトさんからは12月中旬に途中経過が届き、私の時代考証と修正依頼を経て、今年1月14日に本番用の完成作画が届きました。

前田真里さんご自身は、単独の長編朗読は初めてということだったので、作品の制作過程と意図を伝えたく、こまめに朗読リハーサルに立ち会いました。昨年11月18日、今年1月4日(通しリハ)、1月22日、1月24日の計4回です。互いに質問や考えを出し合い、より作品が伝わるための朗読の表現方法もシーン毎に話し合いました。前田さんとは朗読中の小道具(ペン、封筒、手紙)なども細かく打ち合わせをしました。

今年1月4日、初めて出演者・スタッフが揃い、通しリハーサルを行いました。そこで朗読とスクリーンに映し出す作画と音楽を合わせました。作画を映すタイミングを調整し、マルモトイヅミさんに確認してもらいました。朗読の合間に入る音楽も池田祐希さんと下条絵理子さん(ピアノ)がアイデアを出してくれました。前田真里さんの朗読中もピアノが物語に寄り添うように入りました。原作者、作画作者、朗読者、演奏者が互いに協力し合い、課題を出し合い、紡ぎ出す一編の作品を目指しました。その日は通しリハを3回行い、3回目には国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館の関係者2名にも立ち会っていただき、率直な感想をお聞きして、本番の参考にさせていただくことにしました。

左から下条絵理子さん、前田真里さん、池田祐希さん

1月中旬からは、追悼平和祈念館の担当者とのやり取りが頻繁になりました。発表会前日の24日(金)の夕方から会場設営を行い、舞台設置の有無、出演者の位置、ピアノの位置、スタッフ用机の位置、マイクの数、来場者用の椅子の並べ方や数など、細かく確認し決めていきました。パソコンに作成した作画用パワーポイントがモニターに正常に映し出せるか、接続などの確認もしました。予定にはなかった前田真里さんのマイクテストのための朗読通しリハも行うことができました。また、この日の西日本新聞には発表会の告知記事が掲載されました。https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1307468/

そして迎えた翌1月25日(土)の本番当日。午前中にゲネプロを行い、互いの注意事項を確認し合い、共有して、14時に本番がスタートしました。嬉しいことに会場に用意した椅子77席がほぼ埋まり満席状態での発表会となりました。 

約50分後、発表会は無事に終了しました。気になった来場者の反応ですが、終わった時点で拍手はあったものの、何となく静まり返ったような沈黙というか空白の時間が少しだけあったように感じました。個人の肌感覚のようなものです。「あれ、伝わらなかったのかな?」と思っていると、来場者の半数近くが終演後の会場にそのまま残ってくださり、出演者・スタッフへ声をかけていました。それぞれの来場者が聴き終えた感想や気持ちを直接出演者・スタッフへ伝えているようでした。

当日は読売新聞社と西日本新聞社の記者さんの取材もありました。嬉しいことに県立長崎南高新聞部の顧問の先生と生徒さんたちからの取材も受けました。若い世代に被爆体験と平和の大切さを継承してもらう意味でも、高校生に作品を鑑賞していただけたことが何よりでした。また、椅子の片付けなど終演後の撤収作業も生徒さんたちが手伝ってくれたことに感動しました。とてもありがたいことでした。

こうして朗読作品『祖母・手島早苗からの手紙』発表会を無事終えることができました。出演者・スタッフ、来場者、関わってくださったすべてのみなさまに感謝の気持ちで一杯です。

それぞれが伝え継承していく「平和」に「ねばならない」はなく、得意な「カタチ」で自由に表現していけばいいと個人的には考えます。そういう点でも平和朗読作品の創作・発表は私にぴったりの分野なのです。

どうぞ被爆80年の年内に『祖母・手島早苗からの手紙』再演が叶いますように。


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