変わる 変わりたい 変われない
今の自分から変われたら、どんなにいいだろうか。
そんなことを思ったことあるだろうか。
振り返ると、小学2年生で引っ越しをしてから、そんなことを度々思っていた気がする。
友達と上手く話せなくて、ウジウジしている自分
遠足のグループで、自分の意見が通らなくて、腹を立てていた自分
知らないことを知らないと言えず誤魔化す自分
いつも明るく人が寄ってくる友人を見て羨む自分
膝の手術あとを隠す自分
膝が不自由なことをないように振る舞う自分
できない、助けてほしいが素直に言えない自分
好きなものを人に好きと言えない自分
こんなことを「嫌だなぁ、変えたいなぁ」と思い、この思いを心の底に積み重ねていた
変わりたいと思いながらも、どうしたら良いか分からず、積もりに積もらせていた。もしかしたら、諦めもあったのかもしれない。
私は、4年前につもりに積もったものが抑えきれなくなり爆発させた。
営業という世界に入り、自分と向き合わざるを得なくなったのが一つの理由。
自分をこれでもかと嫌いになったのだ。
心が叫んだ
“変わりたい、ここから出たい!!”と。
そしたら、1人の友人が思い浮かんだ。
劇団時代の同期。役者と制作という立場は違ったし、劇団以外で深い話は一度もしたことのないしばらく疎遠だった彼女。
海の底へ沈んでいくところを必死でもがいている最悪な状態で彼女の元へ行き、心の内をポロリと話した。
彼女もサポート業をしようとしていたところだった。
なんとも言えないグッとタイミングに、私たちは再会した。
そこから、彼女をサポートにつけて、私の自分と対話をする旅が始まった。
はじめは、ひどいものだった。
顕在意識では、変わりたくて仕方がないのに、潜在意識では、変わりたくない、“しんどい思いしたくない、変わりたくない”が出てくる
変わりたいのに変わりたくない
今までは、ここで折れていた。「自分なんて」で終わっていたのだ。
しかも、出てくる理想とする姿が、なんでもできる雲の上の存在。
それもなかなかわからなかった。
努力すれば、何でもできるようになると思っていたからだ。
実際は違った。できないことはあるのだ。
それを認めるのにも時間がかかった。
何度も同じところをループし、足踏みをして、一歩を踏み出せず、暗闇を彷徨っていた。
それを根気よく付き合い、私よりも諦めずに寄り添ってくれた。私よりも私自身を信じてくれたのだ。こんなサポート世の中にあるだろうか。
きっとない。
自分では、一歩も進んでないように思えたことも、彼女や仲間がいたから、小さな一歩も教えてくれた。進んでいることを教えてくれた。
自分では見えなくしている、小さな階段を上がったことを、証明してくれ、称賛してくれるのだ。ありがたかったし、いつもはないことになっていたやれたことを、しっかりと見つめることができた。
その中で、たくさんのドロドロした思いもたくさん出た。
こんなに変わりたい、箱の外へ出たいと思っているのに、「この安全な中にいておこうよ」「そんなに頑張る必要ある?」「周りは、楽しそうにやっているのに、私は抜けられない…」「ダメな自分を見透かされている。惨めだ。逃げ出したい」ぐるぐるとまわった。
それでも、それを一つずつ、謎解いて、向き合ってくれた彼女がいたから、私も過去と自分とに向き合えたのかもしれない。
変わりたい!と意気込んで、やり始めたけど、
やっているうちに、変われない…と挫けそうになり、
それでも彼女が前を走り、伴走してくれたから
変わる❗️と決心が揺らがなかったのかもしれない。
1年前の夏に、ひょこっと、出られなかった箱から出た。
いろんな鎧やら部屋に鍵をかけたりやらしてたけど、扉を開けると壁がすーっと消える感じで、外に出ていた。
なんとも言えない解放感で、彼女とその周りの仲間と祝杯をあげたのだ。
なんとも贅沢な。一般社会では、生産性はないかもしれないけど、私にとっては身が軽く、解き放たれた瞬間だった。
変わることを一瞬で誰かがしてれるものとも、4年前は思っていた。この講座を受ければ。この人の話を聞けば。
そんなことはない。
誰も自分を変えてはくれない。
変わるのは、自分自身なのだから。
でも、一緒に自分を信じて、伴走してくれるパートナーは必要だと思っている。一人で走るには、孤独すぎるし、心が折れる。
そんなパートナーがいるから、今でも【変わる】をやめれないのかもしれない😊
今じゃ、自分探求好きの変わり者。
まだまだ、変化を楽しみたい46歳だ。