【初学者のための世界史(幹)】3-5.東方問題
前回は、フランス革命でヨーロッパに自由主義やナショナリズムが生まれたことを解説しました。
今回は、その考えがオスマン帝国にも伝わり、ワチャワチャし始めたことを解説します。
オスマン帝国内で民族独立の動きがみられ、ヨーロッパの列強が介入したことを東方問題と言います。ヨーロッパから見て東側にオスマン帝国(トルコ)はありますからね。
オスマン帝国とお隣で、積極的に介入したのがロシアです。
ロシアの狙いは不凍港(一年中凍らない港)です。凍ってしまえばその間は海運がストップしてしまいますから、輸入・輸出が限られて経済に支障をきたすので、どうしても手に入れたくて仕方がありませんでした。
ロシアが狙ったのは、下の図で示した場所(ダーダネルス海峡とボスフォラス海峡)。黒海とエーゲ海の間です。
まずは、小細工をして不凍港の獲得を目指しました。
ギリシア独立戦争
ギリシアがオスマン帝国からの独立を目指す戦争にどさくさに紛れて不凍港を獲得しようとしました。
ここでは、オスマン帝国と敵対関係にいました。
エジプト=トルコ戦争
エジプトがオスマン帝国からの独立を目指す戦争にどさくさに紛れて不凍港を獲得しようとしました。
ここでは、オスマン帝国を援助しました。
不凍港を得るためなら昨日の敵は今日の友・・・ではないですが、どっちの味方をしようが関係ないといった感じです。
この二つの戦争の結果、ロシアの不凍港獲得はぐっと近づきましたが、ロシアを危険視したイギリスなどによってストップをかけられました。
「小細工がダメならどうしたらいいか、直接奪っちゃおう。」として、ついに力ずくで奪いに来ました。
クリミア戦争
これにイギリスやフランスは大反対。ロシアが強大化しては困りますから、オスマン帝国を援助します。
フランスとイギリスの前にはロシアは勝利できず、オスマン帝国から不凍港を目指すことは諦めました。
ちなみに、男の場だった戦場に看護師として初めて参加したナイチンゲールがいます。
諦めきれないロシアは、フランスとイギリスが他の戦争で忙しい隙を狙って、再度オスマン帝国に戦争を仕掛けました(ロシア=トルコ戦争)。
フランスやイギリスの援助なくてはオスマン帝国はロシアの攻めに耐え切れず、ついにロシアが海に出れるようになりました。
念願の夢がかなったロシアでしたが、またしてもストップをかけてくる人物がいました。
プロイセンのビスマルクです。
結局、ビスマルクに上手いこと言いくるめられて、一度手にした海への突破口も再び防がれてしまいました。
ここでめげないのがロシアです。寒い地域で暮らしているから我慢強いのですかね。
「もうだめだ~」と不凍港をあきらめきるのではなく、視野を広く持ちもっと東側に目を向けました。
そこにいるのは日本です。皆さんご存じの日露戦争が起こりました。
次回は、今までたびたび登場してきたビスマルクが登場するドイツと、イタリアの統一について解説します。
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