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【初学者のための世界史(幹)】2-20.フランスの絶対王政

前回は、国王が処刑されたり王のいない共和政になったイギリスについて解説しました。
今回は、そんなイギリスに対して王権の強いフランスについて解説します。


宗教改革後のフランスでは、カルヴァン派のユグノーと呼ばれる新教徒の数が増えていました。

フランスには依然多くの旧教徒(カトリック)がいますから、教義の解釈の違いなどにより激しく対立しました(ユグノー戦争)。
そんな中、ユグノーが大勢殺されたサンバルテルミの大虐殺という事件が起こってしまいました。

サンバルテルミの虐殺

一方に圧力をかけるとかけられた側はますます勢力を付け跳ね返ってきます。子どもの反抗期のようなものです。

同じようなことは歴史上何度か起こっています。
例えば、ムガル帝国アウラングゼーブがヒンドゥー教をいじめたら、ヒンドゥー教徒はさらにムガル帝国に反発的になり弱弱になりましたね。結果イギリスに付け込まれてしまいました。



ユグノー勢力はこの事件をきっかけにさらに勢力を増し、フランス国内の争いは泥沼化していきました。

内乱を収束させたのが、元ユグノーでありながら国王になるためにカトリックになったアンリ4世です。

アンリ4世

この優しそうなおじさんは、国内のユグノーに対し信仰の自由を認めることでユグノー戦争を終結させました(ナントの王令)。
彼自身は狂信的なカトリック教徒に殺されてしまうのですが。。

宗教的融和を図ろうとすると身内に殺されたのはガンディーも同じです。宗教の壁というものは日本人はなかなか理解が難しいものかもしれませんが、分厚く高いです。

アンリ4世の後、フランス絶対王政の最盛期の時代を築いたルイ14世が登場しました。

ルイ14世



ルイ14世

彼のあだ名は「太陽王」。
「朕は国家なり」という言葉も残しており、彼のフランスは拡大を進めていきました。

山や川が国境だという自論のもと、オランダやドイツなどへ侵略戦争をたくさん起こしました。
侵略戦争を起こすと、周辺国家はフランスの強大化を恐れて抵抗します。
結果、侵略戦争が他の戦争を引き起こし毎日毎日戦争戦争が続きました。

また、彼はヴェルサイユ宮殿を造営しました。

ヴェルサイユ宮殿

鏡の間や、第一次世界大戦の講和条約が結ばれた場所として有名ですね。

彼はここでの暮らしの一つ一つに細かなルールを設けました。身なりはもちろん、食事の座る順番や着替える順番まで、規則正しく行われていました。
王の命令は絶対なので、周囲の貴族はそれに従うしかありません。王も威厳を保たないといけませんから、毎日違ったおしゃれな服を着たりと浪費をしていました。


侵略戦争をしたり、宮殿で豪華な暮らしをしていれば必然的に財政難になってきます。
更に深刻化させたのが、アンリ4世が制定したナントの王令を廃止したことでした。
どういうことかというと、彼は熱心なカトリックだったのでユグノーが嫌いでした。そこで、ユグノーを認めないことでユグノーはフランス外へ流出することになったのですが、当時のユグノーは手工業者や商工業者が多くフランスの経済が停滞してしまいました。

財政の悪化してしまったフランスはルイ14世の時代はまだよかったのですが、後に王を処刑する革命が起こりました。フランス革命です。
フランス革命の解説は後々します。


次回は、同時代に神聖ローマ帝国(ドイツ)で起こった最大にして最後の宗教戦争とその影響について解説しようと思います。


最後までご覧いただきありがとうございました!



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