綾部山39号墓発掘調査報告書にみる阿讃播連合
有名な「現地公開サイト」より現地説明会資料
を引用させていただきます。
綾部山39号墓発掘調査報告書2005から
この調査報告書で中溝康則氏は、阿讃播連合の様子をよく説明しているので読んでおきたい。意外と当時の墳丘上の祭祀において播磨と吉備との関係は薄かったようだ。
中溝康則氏の文書を下記にそのまま紹介したい。簡潔に説明されており、大きな流れとしては分かりやすい。
ただ、(?箇所)3世紀までの存在感の薄い畿内内陸在地勢力が主導権をとったかどうかの根拠は分からず、瀬戸内を支配する阿讃播勢力が主導して、大和纏向(ホケノ山)に進出開拓して、東国との交流関係を深めていったとみなしても、考古資料との矛盾はないと考えている。