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【日本プロレス歴史発見①】日本プロレス最後のシリーズ、アイアンクローシリーズで最後の抵抗!
日本プロレスの最後のシリーズとなったのが、昭和48年4月の「アイアンクローシリーズ」。この時期、昭和46年末に発生したアントニオ猪木の追放騒動の余波で大揺れに揺れていた。昭和47年7月にはエース・ジャイアント馬場が独立を宣言。開けて昭和48年、新日本プロレスとの合併計画が立ち消えになるものの、坂口征二ら数選手が3月を持って離脱。この4月に日本プロレスに残ったのはわずか9選手というところまで追い込
もっとみる【国際プロレス⑦】あのダイナマイト・キッドが国際マットに登場!原と3度にわたり対決の全攻防!
ダイナマイト・キッドと言えば、初代タイガーマスクのライバル、あるいは全日本プロレスでの常連外国人でのイメージが真っ先に思い浮かぶ。
その初来日をひも解くと、国際プロレスである。昭和54年「79ビッグ・サマー・シリーズ」に英連邦ジュニアヘビー級王者の触れ込みで、鳴り物入りでの参戦であった。
同シリーズは特別参加にアンドレ・ザ・ジャイアント、ヘイスタック・カルホーン、さらには外国人エース
【国際プロレス③】鶴見五郎が丸坊主に!敗者髪切りデスマッチ!
これは事件と言わずして何と言おうか。昭和54年11月7日、青森・弘前市体育館で行なわれた鶴見五郎対稲妻二郎の「ヘア・ベンド・マッチ(敗者髪切りマッチ)」である。この発端となったのは、さかのぼること1カ月前、10月3日の青森・黒石市中央スポーツ館(メインはラッシャー木村対ジョールダックのIWA世界ヘビー戦)で会場入りした際に自身のカードが組まれていなかったことに激怒。吉原社長に抗議したがこれを制した
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