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【年金生活ピカピカの1年生】定年退職と悲しい出来事
はじめまして。
ご訪問いただきありがとうございます。
1957年生まれ、さそり座/A型/65歳の坂本秀之と申します。
幼いころから『ヒデ』とか『ヒデちゃん』と呼ばれてました。
(この年齢になっても、親友からは今でも『ヒデちゃん』と呼ばれてます)<笑い>
そして、生まれてから、ずう~っと小江戸川越(蔵造の町)
今回のブログは、『定年退職と悲しい出来事』について、お話ししますね。
2022年11月が私の定年退職
1985年4月に本田技術研究所に入社し、38年間を務め2022年11月に定年退職を迎える予定でした。
2022年1月の新年を迎え、11月の定年退職までの過ごし方を自分なりに計画していました。
残りの11カ月は会社人生の集大成、そして、第二の人生で謳歌する計画作りに当てよう・・・そう考えていました。
2022年3月 悲しい出来事、それは突然襲ってきました。
2022年3月1日 緊急入院
午後3時 妻はバラが好きで、バラの鉢の土替えを行い、片付けをした後、
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午後5時
妻は台所に立ち、夕飯の支度に取りかかりました。
間もなくして、妻が背中が痛いとソフォーに横に成り休んでいたのですが、しばらくすると、背中の痛みが激痛に変わり、私は妻の背中をさすっていましたが、痛みの様子が尋常でないことに気づき・・・・・・
午後6時
119番通報で、救急車が到着。
しばらくの間、搬送先の病院が見つからず、多くの病院を色々当たってもらい、ようやく救急サイレンを鳴らし移動。
午後8時
埼玉医大総合医療センターに到着し、処置室で診察を開始する。
午後10時
緊急処置室に入ってから2時間が過ぎ、心配で心配で居ても立っても居られない状況でした。
そんな時、措置室から医者が現れ、そして、こう告げられた・・・・・
『背中の痛みの原因は、大動脈解離で緊急手術が必要です』
頭の中が真っ白、何の思考も働かず、心臓がバクバク音を立てるのが自分でも分かる状況でした。
そんな中、スマホで『大動脈解離』を検索。
なんと、発症後48時間放置した場合の死亡率は50%、1週間放置した場合の死亡率は70%との事だった。
この時、会社を休職するか?退職するか?真剣に考えました。
午後11時
医師から手術におけるリスクの説明を受け、数多くの承諾書にサインする。
そして、3つの最大危機の説明を受けた。
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3月2日 手術が終わる
午前9時
医師から手術は成功した。
今はICU室に移動し、全身麻酔なので寝ていると説明を受け、
手術中にリスク発生が無かったことを確認し、先ずは一安心。
3月3日 術後はじめての面会
娘と二人で病院に向かい、面会の申請をしたが、コロナ禍でもあり面会は一人だけと言われ、娘にお願いした。
娘の話しでは・・・・・女房から、
『いつ来たの?』
『今日は何曜日?』
『胸が痛い』
・・・・・とだけの会話だった様だが、会話は出来て、左手で『バイバイ』と手は少し動いていたとの事なので、脳への大きなダメージは無いようなので一安心。
3月4日 術後はじめての差し入れ
面会は出来ないと言われていたので、売店で水とマジック買ってボトルにコメント書いて、看護師に渡す。
看護師の話しでは、午前中に呼吸器などは外し、ベッドに初めて起き上がったとの事。
良かった~。術後のリスクも無かった様で安心した。
3月7日 一般病棟に移動
10時
医師から電話で『一般病棟に移動した』との連絡を受け、洗面道具や女房の携帯電話を持ち病院に向かった。
面会は出来なかったので、水のボトルにマジックでコメントを書いて看護師に託し、帰宅した。
3月15日 女房からメール
医師から『退院許可が出た』、そして、『早く帰りたい』と・・(涙)
3月16日 退院
10時
先生と栄養士から話しを伺い、女房と娘を乗せ自宅に帰宅した。
この時の事は生涯忘れられない。
神様・・・ありがとう。。
無事に迎えられた定年退職
帰宅後、女房は開胸手術で肋骨を切断したため、骨が接合するまでの3カ月間は安静状態。
私は、在宅勤務と掃除・洗濯・買い物・炊事・ゴミ出し・女房の世話。
あらためて、主婦の仕事の大変さが身に沁みました。
この生活は9月頃まで続き、10月に入ると女房はキッチンに立って炊事を少しづつ出来る様になり生活のリズムが少しづつ、戻ってきました。
そして、11月を迎え私の定年退職を夫婦揃って迎えることが出来ました。
新たな門出の記念に
女房は無事に生還が出来て、今までの生活を取り戻し、私は無事に定年退職が出来たので、今まで、家庭の為に苦労してきた女房への感謝とこれからの、新たな二人の人生の門出の記念を作ろうと考えました。
そこで、門出の記念になる条件と場所を考えました。
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・・・ということで、12月3日、4日の1泊2日で伊豆高原温泉の宿に行き、新たな門出を祝ってきました。
写真でのおすそ分け
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最後に・・・・
今回は、『定年退職と悲しい出来事』についてお話させていただきましたが、いかがでしたでしょうか?
お付き合いいただきありがとうございました。
noteを通じてお知り合いに成れた方々と多くのコミュニケーションをさせて頂き、第二の人生の生き甲斐の糧になれます様にして行けたらと思ってます。
また、これからセカンドライフを迎える皆様にとって、より良い情報と成るように心がけて、投稿させて頂けたらと考えております。
これからも備忘録としてnoteにブログを投稿させていただきますので、
コメント/フォロー/♡を頂けたら、とっても嬉しく励みになります。
これからも、お付き合い下さいね。
では、またお会いしましょう。