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私がアクセサリー作家になった理由

明確にはわからないけれど、子供の頃からキラキラしたものが好きで、それが何故なのか考えた時におそらく家がどちらかと言えば貧乏だったからかな、と思う。

そんな中、専門学校まで入れてくれた親には感謝しているけれど、一方で家族旅行によく行ってる家族や、広い一軒家に住んでるお家が内心羨ましかった。

家には母が自主的に買った宝石類はおそらく一つもなくて、たまに叔母から貰う珊瑚などのアクセサリーを嬉しそうに身に付けていたのが印象的だった。

私もきっとそれを目を輝かせながら、眺めていた気がする。

キラキラが好きだったもう一つの理由は、小学生の頃、魔法少女アニメが大流行していて、キラキラグッズが流行っていたから。

セーラームーンのオルゴール音が流れるムーンステッキ(銀水晶のリングをはめ込めるタイプの)や、姫ちゃんのリボンの可愛いペンが入ったブック型のおもちゃなど。

父がヲタクでコレクター、そして家族全員本の虫だったから、本、漫画、CDには比較的不自由しなかったけど(読みたいものは家族の誰かが買ってる、もしくはヲタク友達が貸してくれた)

キラキラした宝石はほぼ皆無な家だった。だから幼少期の飢えの気持ちは多分キラキラに向いていて、その頃のコンプレックスが今の仕事に繋がっている。

そう思うと貧乏だったことも今となっては悪くなかったのかも、と思える。

過去の全ての出来事が積み重なって今の自分に至っている。ふとした時にそう気付いてとてもはっとする。

何が言いたいのかわからない流れになってきたけど、現代はお金がなくてもある程度おしゃれができるし、今の私はキラキラしたものを身につけたければ自分で生み出すことができる。

それがどんなに恵まれていることか、今の私の姿を子供の頃の自分に教えてあげたい。だからそんなにキラキラを羨ましがらなくて良いんだよって。

子供の頃は節約生活を送っていた母も(我が家のカレーは時々汁っぽくて、ドレッシングもいっぱいかけると怒られた)

今は自分のおしゃれにお金を使えるようにもなって、心底よかったなって思う。

そんな子供の頃の記憶が今でも残っているからなのか、何となく母の誕生日には大抵アクセサリーを贈ることにしている(自作かハンドメイドイベントでお迎えしたもの)

誕生日が11月だから、ここ何年かは宙フェスのお迎え品を贈っていた。そのせいか母はすっかりpicnicさんファンに。

妹は何年も前から海嶌あありすけさん(私が使っているアクセサリー台紙の作家さん)のファンだし(最近知った)やっぱり血かな、と思った笑

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