Y2-3. ヴェルニー公園
海を前にしたヴェルニー公園
■バラ公園に立つ旧海軍基地2つの衛門
公園を進むとすぐ右手に、道路側に沿って2つの古い門が立っているのが見える。
8角形のレンガ模様の門で、かつて、ここが海軍基地だったころの、基地への入り口の衛兵ボックスだ。裏に回ると、2つの門の間から港が見える。
高さは4メートルくらいか、屋根は銅板ぶきのドーム型をしていて、本体は、鉄筋コンクリート造りに、外壁にタイルを貼ったもののようだ。
明治末から大正初期に作られたもので、いかめしい当時の軍隊の面影をよく伝えている。
このあたりの地名は「逸見(へみ)」。右の門には「軍港逸見門」、右の門には「逸見上陸場」の文字が見える。歴史と当時の海軍の威厳を感じさせる衛門だ。
すぐ近くに横須賀製鉄所建設の功績者、小栗上野介とヴェルニーの胸像が並んで建てられている。
小栗の像の足元には、大きな功績がありながら罪に問われた無念さを訴えているかのように、小栗が斬首された郷里の地の石が敷き詰められている。ときの為政者に主導される歴史の理不尽さを物語っているかのようだ。
この一帯は、フランス式の庭園を模して整備されており、花壇や噴水が設けられている。100品種、2000本を超えるバラが植えられていて、初夏には見ごろを迎える。
ながら、散歩を楽しむことができる。
木陰で一休みするなら、カフェレストランもあり、ネイビーバーガーや海軍カレーも食べられるので、港を眺めながらの一休みも悪くない。
■軍港横須賀の面影--長門を建造する技術力
ヴェルニー公園を奥に進むと、いくつかの碑石が置かれた一角があり、「海軍の碑」「戦艦長門碑」「軍艦沖島の碑」などが建てられている。
明治以来、海軍は佐世保、舞鶴、呉などに鎮守府を置いていたが、なかでも横須賀は、筆頭の位置にある重要な軍港で、かつての海軍在籍者にとっては、それなりの感慨をもって思い出す聖地でもある。
帝国海軍の戦艦名をあげると、現代では、大和や武蔵の名がエースのようにいわれるが、この2艦は、海軍が起死回生策として極秘の中で建造した戦艦で、報道も一切なし。国民にとって戦艦のエースは、連合艦隊の旗艦「長門」だった。
排気量39,120トン、1920年に呉の海軍工廠で造られたあと、横須賀鎮守府に所属し、太平洋戦争を終戦まで生き残った。
当時最強とうたわれた英国のドレッドノートを越える性能を持っていたことから超ド級と呼ばれた、世界初の40センチ砲を備えた戦艦である。
碑文には、
「ありし日の連合艦隊旗艦長門の姿をここに留めて激動の時代をしのぶよすがとする」
と記されている。
長門は、戦争は生きのびたが、終戦後はアメリカに接収され、アメリカがビキニ環礁で行った原爆実験の標的にされて沈んだ。そうした長門の数奇な運命を悼むかのようだ。
軍艦は、当時の国の最高の技術を集めた、いわば、技術力の塊であり、軍艦を検証することは、その国、造船所の技術力を検証することでもある。
西洋の産業技術を導入してわずか50年ほどで世界最先端の軍艦を作ってしまう、日本人の技術力もなかなかのものといえよう。
この、超ド級戦艦の長門を日本が独自に建造したことから、世界は日本の技術習得の速さに驚き、このあたりから日本の軍事力を警戒するようになってくる。
長い歴史を積んでそうした技術を獲得してきた列強には、その短時日で技術力を工場させた日本のスピードの速さは驚きだったに違いない。
■正岡子規の碑
長門の碑のすぐ横に「軍艦沖島の碑」がある。
「沖島」は昭和11年に建造された機雷水雷の敷設艦で、昭和17年にソロモン群島の海戦で沈み、44名が命を共にした。
昭和58年に生存者が、亡くなった戦友をしのんで慰霊碑を建立したものだ。
この碑に並んで、一番奥にあるのが正岡子規の碑である。
軍関連の碑が並んでいるので、子規が海軍の碑を?・・・と、一瞬?マークが頭を巡ったが、こちらは海軍とは関係のない、単なる横須賀港にまつわる句碑だった。
碑文は、
「横須賀や 只帆檣(はんしょう)の 冬木立」
明治21(1888)年に、夏季休暇に浦賀から横須賀を旅した際に読んだもので、1867年生まれの子規、一高生21歳の時の句である。
帆檣(はんしょう)とは、帆柱のこと。季節は夏だが、港には帆柱が林立していて、冬の枯木立のようだ、とよんだ句である。
時は明治21年。軍港にたくさんの軍艦が停泊している。
石炭を動力源としながら、巡航時には帆を張って航行する帆船仕様になっている船がほとんどで、帆をたたんで停泊している姿をよんだものだ。
世のなかは殖産興業・富国強兵にまっしぐらに進みつつあるなかで、港内に停泊している軍艦のマストが冬木立のように見える。のんびりした違和感のようなものを詠んだのであろう。
軍関連の碑と並ぶと突き放した第三者としての視点が異彩を放っている。当時の横須賀港は、観光地の目玉でもあったということが改めてわかる。
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